日本人初飛行 日野熊蔵
今からちょうど100年前の1910年12月。
日野熊蔵と徳川好敏が日本人として初めて日本の空を飛びました。
人が空を飛ぶなど夢物語だった時代のこと・・・
その日を迎えるまでには、多くの人々の汗と涙の物語がありました。
法事で熊本へ行っているとき、アーケード街でその展示物を見ました。
それが、この飛行機の復元モデルです。
素材こそ現代の物ですが、なんとも弱々しい
小さなV型エンジンを積んだ飛行機、というより
パラグライダーみたいです。
地元熊本の偉人伝として、テレビ番組が制作されたということです。
放送を楽しみにしていたのですが、九州のみでの放送だったようです。残念。
ドラマあらすじ
日野熊蔵は1878年6月9日、人吉に生まれた。
その後、熊本英学校、陸軍士官学校を卒業し、軍人としての人生を歩みはじめる。
そして、好奇心旺盛で研究熱心だった熊蔵は1904年、日野式拳銃を
発明して日米両国の特許を取得。
1907年には恒吉ヤスと結婚。
海外で有人飛行が果たされたことを知った熊蔵は、
妻・ヤスの支えを得て飛行機の研究を始め、1909年には
臨時軍用気球研究会の一員となり本格的に飛行機の開発に取り組む。
その後、徳川好敏とともにヨーロッパに渡り、飛行機操縦技術を習得して帰国。
そして1910年12月、東京・代々木練兵場での試験飛行は
5日間で、なんと50万人という人を集めるが、その期待の大きさとは裏腹に、
二人は悪天候の下で飛行機の調整に悪戦苦闘。
人々が失望しかけた頃、ついに日野熊蔵は徳川好敏とともに
日本人初の飛行に成功。
それはまさに、命がけの挑戦だった。
失敗を恐れず、危険を顧みることもなく、目標に向かってひたすら邁進する
無私の姿勢がもたらした成功であった。
しかし、歴史に残る偉業を成し遂げながらも、熊蔵にとって
それは通過点にすぎなかった。
その後もどんな苦境に立たされようと、決してあきらめることも
投げ出すこともなく、自分の信じる道をまっすぐに進んでいく。
富も名誉も、命さえも投げ打って、その身を未来の日本のために捧げた男だった。
日野熊蔵 略歴
1878年
球磨郡人吉町(現・人吉市)生まれ
熊本英学校、陸軍士官学校を卒業
1904年
日野式拳銃を発明し、日米両国で特許を取得。
1907年
恒吉ヤスと結婚。
1909年
臨時軍用気球研究会の一員となり、本格的に飛行機の開発に取り組む。
その後、徳川好敏とともにヨーロッパへ渡り、飛行機操縦技術を習得。
1910年
東京代々木練兵場で、徳川好敏とともに日本人初飛行に成功。
1946年 没
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