東海道五十三次を走る 神奈川〜保土ヶ谷
東海道五十三次を走るにあたり、参考にした本が、
東海道を歩く旅 である。
モデルコースと距離、所用時間があり、歩いて東海道五十三次を
旅するには最適なガイド本かもしれない。
しかしながら、紹介されているルートは、日本橋からすべての宿場を
辿るものではなく、途中抜けている部分がある。
3神奈川から6藤沢までが、
東海道を歩く旅 には載っていないのだ。
歩いて旅するには、あまり面白くない区間ってことなのかな。
たしかにこの区間は、横浜とはいえ、海はほとんど見えず
上り坂が続くので、中高年が散歩感覚でやってみると
けっこう疲れるだけで、もう東海道五十三次を歩くなんて
ヤダ、ヤダってなるかもな。
ということで、坂道がでてきたところからです。
普門寺
普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属す。
山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことにより起こった。
また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を
安置したことより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を
開いているとの意味である普門とされたと伝えられている。
江戸後期には、本堂・客殿・不動堂などの建物を持ち、
開港当時はイギリス士官の宿舎に充てられた。
神奈川宿 歴史の道 という立派な看板があり古い地図で
現在地が確認できます。
東横フラワー緑道と旧東海道五十三次
みなとみらい線の開業とともに地下化された東横線。
東白楽駅から台町までの約1.4kmの跡地は緑道(愛称:東横フラワー緑道)
として整備が進められ、平成23年4月に全線オープン。
青木浅間線付近。
東横線の高架橋は撤去され、高島山トンネル南側の旧東海道
(神奈川宿歴史の道)付近から青木浅間線まで約100mの歩道が開通している。
2010年4月24日にトンネル手前まで緑道が伸びた。
大綱金刀比羅神社
この神社は平安末期の創立で、今の境内後方の山上にあった。
その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、
大綱金刀比羅神社となった。
かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入する船乗り達から
深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。
また、江戸時代には、神社前の海道両脇に一里塚が置かれていた。
この塚は、日本橋より七つ目に当り、土盛の上に樹が
植られた大きなものであった。
現在その一里塚は見当たらない。
帰ってきてわかったこと、ここは駅近の神社であった。
もう駅からどんだけ離れているかもわからず、
ただたんたんと走るだけ。
田中屋
歴史に疎い私でもここは知っているぞ。
本当にその宿は現存していたんだ。
なんかちょっと感動したな。
安藤広重の「東海道五十三次神奈川宿」にも描かれた名店。
創業文久三年(1863年)の老舗割烹ながら、常に「時代」を
意識し斬新なスタイルの料理で季節感あふれる時を届ける、、らしい。
坂本龍馬の妻おりょうは、龍馬亡きあと、西郷隆盛の紹介で
ここ田中屋で住み込みの仲居として勤めていた。
月琴を奏で、外国語も堪能だったという、当時は西村ツルと
名前を変えていたらしい。
神奈川台の関門跡
田中屋からの台の坂を上りきったところにある。
横浜港開港後の外国人殺傷事件から、幕府は各国の領事から
激しく非難された。
神奈川宿の東西にも関門がつくられ、その西側がこの
神奈川台の関門である。
明治4年(1871年)、他の関門・番所とともに廃止された。
浅間神社と富士の人穴
創建な承暦4年(1080年)、富士浅間神社の分霊を祭ったものと伝えられている。
旧芝生村(しぼうらむら)鎮守。
本殿のある丘は袖すり山と呼ばれ、昔は山の下がすぐ波打ち際であった。
境内西側の崖には富士山に通じていると伝えれる「富士の人穴(ひとあな)」
と呼ばれる古代の横穴墓があり、東海道を往還する人々が見物する名所と
なっていた。
しかし今は、周辺の開発によって見る事はできない。
旧東海道は国道から離れ、寂しい道ばかりかと思いきや、
な、なんと賑やかな商店街になるではありませんか!
ここは松原商店街です。
さすがにここは走れません。
買い物客の中をゆっくりウォーキングです。
問屋場跡
ここは案内看板だけです。
高札場跡、ここは保土ヶ谷税務署の看板がでかかった。
戸塚宿上方見附跡
保土ヶ谷宿の京都(上方)側の出入り口となる上方見附跡。
江戸側の出入口にあるものを江戸見附、京都(上方)側に
あるものを上方見附と呼ぶ。
この江戸見附と上方見附の間が宿場の範囲であり、
戸塚宿の上方見附には、左右一対になった石垣が残っている。
保土ヶ谷宿の松並木と一里塚
保土谷宿の松並木は、境木のあたりまで約3㎞も続き、
広重や北斎などの浮世絵にも度々描かれるほど、美しい景観だった。
昭和初期まで比較的良好な状態で残されていたが、
年々減り続け、今では旧東海道権太坂付近にわずかに
残るだけとなった。
松並木の終わりから、道路を渡りジグザグと走っていく。
旧東海道の表示は多くあるので、このあたりは道に迷う事はない。
そして、急な坂道が待っていた。
権太坂
かつては今よりももっと勾配がきつい激坂だった。
権太坂には元々人家が少なかったため、昭和30年代に本格的に
道が改修され宅地開発がすすむまで往来の街道の面影を残していた。
まだまだ、上り坂は続き、このあたり走れずにほとんど
歩いていく。
昼からから午後にかけては、日差しも強くなり、走るのは
とてもしんどいな。
疲れたら、あるけばいいさ、東海道。
さていよいよ次は、1日目ゴール戸塚です!
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