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2012年7月

2012.07.30

大人の科学 Vツイン蒸気エンジン

子供の頃、学研の学習と科学がありましたが、あなたは
どっち派でしたか?

私は科学派でした。

んで、このシリーズは休刊になってしまったのですが
科学だけは、2012年7月10日に書籍として
復活したそうだ。

ということで、今の私は大人です。
そう大人の科学なのです。

毎号その附録には、科学少年だったおっさんの
琴線に触れるものばかりです。

んで、今回は、なんとVツイン蒸気エンジンなのです。


Dsc02914

構造は簡単でアルコールランプで熱した缶の中から、
蒸気がパイプを辿って、ピストンを押します。

2つのピストンでクランクを回し、排出されるのは、
半分以上水になった水蒸気。

シリンダーの角度は、72°90°120°180°と
設定できます。

組立はとても簡単で小学生でもOKです。

動かす為に、ちょっと考えなきゃいけないのは、アルコールランプの
灯をともす部分とその燃料でしょうか。

燃料は、ジッポーオイルを使用。
芯はマスク作成に使用してあまっている100円ショップで
買った赤い紐を使ってみました。

ジッポーの黒い煙は、にゅるにゅると立ち上りますが、
蒸気が充満してからクランクをちょんと、回してあげると
クルクル、シュシュシュっと回り続けます。

うまくまわらない時は、火力不足か、ネジの締め過ぎです。
ネジは緩めで、組み立てた後に指で軽く回るくらいが
ちょうど良い感じです。

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2012.07.29

東海道五十三次を走る 激走!箱根越え

いよいよ、箱根越えです。

箱根の山は天下の剣、、であってますか?

今では立派な国道で、気持ち良いワインディングロードを
登っていく箱根ですが、旧東海道のそれは
石畳の狭く、細く、そして急な坂道の連続なのです。

では、いろんな坂の写真とか、ずらずらっと、、、。

山根橋 東海道五十三次


山根橋

途中、小さい橋がいくつもあるのですが、長い歴史の中で
流されていたり、朽ち果てているものが多いようで
新しい橋になっているのが多いようです。

猿滑坂 東海道五十三次

猿滑坂

新編相模国風土記稿には、
「殊に危険、猿滑といえども、
たやすく登り得ず、よりて名とす」

と難所らしい坂の名の由来が載っています。
県道の横断歩道橋がかかるあたりが
当時の坂だった。


石畳歩道についての表示板

この石畳は旧東海道(江戸時代1680年)の歴史的な街道に
沿った歩道です。
旧東海道は関東大震災(1923)及び北伊豆地震(1930)等
度重なる災害により大半は崩壊、埋没しましたが、残された一部の
石畳を再現し、自然歩道として神奈川県が整備したものです。
BY神奈川県。


追込坂 東海道五十三次


追込坂

新編相模国風土記稿にはのふりがな(万葉がな)をみると、
フッコミ坂といったのかもしれません。
甘酒茶屋までのゆるい坂道の名


親鸞上人と笈ノ平 東海道五十三次

親鸞上人と笈ノ平

東国の教化を終えての帰路、四人の弟子と上人が険しい箱根路を登って
この地にきたとき、上人は弟子の性信房と蓮位房に向かい

「師弟打ち連れて上洛した後は、たれが東国の門徒を導くのか心配で
あるから、御房がこれから立ち戻って教化してもらいたい」

と頼み、師弟の悲しい別れをした場所と伝えられている。

甘酒茶屋 東海道五十三次


大正時代の甘酒茶屋 東海道五十三次

甘酒茶屋

無料の休憩所。
箱根地域には甘酒茶屋が9箇所あったが、明治13年 国道1号線の開通などから
街道を歩く人々が減少して、現在ではここに1軒残るのみとなっている。

中には囲炉裏があって、ちゃんと火が燃えていた。
甘酒は嫌いなので、買いません。
1杯400円だとさ。

大正時代の甘酒茶屋 東海道五十三次


猪注意
小田原では、鹿注意。
箱根では、猪注意。
さて次は?


権現坂 東海道五十三次

権現坂

小田原から箱根路をのぼる旅人が、いくつかの急所難所をあえいで
たどりつき、一息つくのがこの場所だった。
目前に芦ノ湖を展望し、箱根山に来たという旅の実感が
体に伝わってくるところだ。

が、私が来たこの日は雨と霧でまったく展望はひらけず
芦ノ湖は見えなかった。

ケンペルとバーニー 東海道五十三次

ケンペルとバーニー

箱根の自然を愛し、世界へ紹介したという功績を
讃えた記念碑です。

箱根旧街道 杉並木 東海道五十三次


箱根旧街道 杉並木

杉並木は徳川幕府が旅人に木陰を与えようと道の両側に
植えたもので、東海道では唯一のものである。
第二次世界大戦中、伐採されそうになったこともあったが、
現在では、国指定史跡として保護され、芦ノ湖畔周辺の
四地区に、約420本の杉が残されている。


箱根関所 東海道五十三次

箱根関所

途中にあるアトラクション?を見るにはお金が必要みたいです。
特に何も見る事なく、通行するのみの人は無料です。

麻薬犬などに追いかけられる事無く、無事箱根関所を通過。

犬塚明神 東海道五十三次

犬塚明神

元和4年(1618)箱根宿が創設された時、付近には狼が
たくさんいて、建設中の宿の人々を悩ませていた。
そこで、唐犬2匹を手に入れて、狼を退治させ、やっと宿場が完成した。

しかし2匹の唐犬も傷ついて死んでしまった。
人々は宿場を完成させてくれた2匹の唐犬をここに埋め、
「犬塚明神」と崇めた。

芦川の石仏群 東海道五十三次

芦川の石仏群

箱根旧街道向坂地区の入り口付近には、「芦川の石仏群」
と呼ばれる、数多くの石仏群がある。
もとは芦川集落内の駒形神社境内にあったものを移したと
いわれている。

ここには、箱根で最も古い万治元年(1658)の庚申塚や
江戸時代後期に建てられた多くの巡礼供養塔などがある。


旧箱根宿の西側にあたる芦川の町並みを過ぎると
旧東海道は、箱根峠までの400mにわたって、
急坂が続く。
この坂は順に、「向坂」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」
と呼ばれている。

向坂(むこうさか) 東海道五十三次


向坂(むこうさか)
坂の入り口に石仏群があり、往時の杉並木も石畳も
残っていて、味わい深い坂道である。

赤石坂 東海道五十三次

赤石坂
国道1号線を挟んで両側に石畳と杉並木が残っている。
道を下れば急箱根宿のひとつであった芦川の集落に、
道を上れば相模の国と伊豆の国を分ける箱根峠に達する。

釜石坂 東海道五十三次

釜石坂
この坂道に残る杉並木は、芦ノ湖畔のドンキン地区
吾妻嶽地区、箱根関所付近の新谷町地区と並んで、
箱根旧街道に現存する江戸時代の杉並木。
4つの地区を合わせて、約420本の杉が残っている。

風越坂(かざこしざか) 東海道五十三次

風越坂(かざこしざか)
江戸時代の延宝8年(1680)箱根旧街道に石畳が敷かれた。
当時、石畳が敷かれた場所は、坂道だけで、集落の中や平坦な
場所には、石畳は敷かれなかった。

挟石坂 東海道五十三次

挟石坂

箱根峠にかかる坂。
峠は当時の浮世絵をみると伊豆の国を分ける標柱と
ゴロゴロした石、それに一面の茅しか描かれていない。
まことに荒涼たる厳しい峠であった。

三島宿までは、ここからさらに四里(16km)近く、
こわめし坂、自転坂などの難所が続く。


箱根峠 東海道五十三次


箱根峠 東海道五十三次

次から次へと現れる激しい坂道を攻略し、国道1号線を
何度も横切り、旧東海道を上り続けて、やっと辿り着きました>箱根峠!

しかし、まったくの視界ゼロ。

霧で何も見えません。

道路をわたるのもたいへんですね。
車は時折通りますが、歩きは私一人、しかもこの天候では
車の運転手が、箱根峠を歩いている人がいるなんて
思いもよらないわけです。


さて次回、箱根峠からの下り、三島、そして沼津まで行きます。



東海道五十三次を走る 小田原から箱根越え

夜の高尾山へ

東海道五十三次を走る 平塚〜小田原 2日目完走

東海道五十三次を走る 戸塚〜 平塚(茅ヶ崎)

東海道五十三次を走る おすすめアプリ

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東海道五十三次を走る 保土ヶ谷〜戸塚 1日目完走

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東海道五十三次を走る 日本橋〜神奈川

東海道五十三次を走る 日本橋〜戸塚 出発編

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2012.07.23

東海道五十三次を走る 小田原から箱根越え

学生さんは、夏休みに入りました。
夏の旅行は、旧東海道なんていかがですか?

というわけで、2012年7月21日に東海道五十三次を走る
第3回目のため、まずは小田原駅へ行きます。

東京の家から、ちょっと遠くなってきて電車代もきになるところです。
今回からは、青春18切符を使います。

青春とか18とか、ついてますけど、おっさんもちゃんと
購入できますので、勇気をもってみどりの窓口へ行ってみましょう。

前回のゴールが、次回のスタートなので駅周辺は
地理に困らないのが、この計画の良い所です。

朝が早かったので、コンビニで食料を仕入れます。
鶏五目おこわと、てりたまスパロール。

駅を出て、すぐにゴアテックスのカッパを着ます。
夏の時期の貴重な涼しい雨で、気温は20℃+アルファ
くらいで、久しぶりにCW−Xも履きました。


小田原城を毎週観ているような気がするけど
今回は城内は通らず、まっすぐに国道1号線を目指します。

8:40ころ、小田原城近くをスタート。

板橋(上方)口 東海道五十三次


板橋(上方)口

東海道に対応する小田原城外郭の西側の出入り口が設けられていた場所。
国道1号線は、まっすぐ西へ直進しているが、かつての東海道は
板橋口を出ると一度北へ折れて、再び西に曲がっている。
旧道はそのルートですすみます。


日本初の有料道路 東海道五十三次

日本初の有料道路

この写真の場所がそうなのかは不明ですが、その案内がある記念碑が
道路脇にひっそりと建てられていました。

明治8年(1875)9月、小田原の板橋から湯本まで全長4.1km
幅員平均5mの我が国初の有料道路が開通した。
福沢諭吉からの
「箱根の山に人力車の通れる道を造れ」
と提言され、二宮尊徳の高弟として知られる福住正兄が
建設の先頭に立ったという。


箱根一里塚 東海道五十三次

江戸日本橋から、22番目の一里塚跡。

箱根石畳の道 東海道五十三次


最初に現れた石畳の道への分岐です。
右へ降りていくと、やがて石畳の道になります。


箱根石畳の道 東海道五十三次

江戸幕府は、延宝8年(1680)に箱根旧街道に石を敷き、舗装をした。
ここから約255mは、その面影を残しており、国の史跡に指定されている。

箱根女転し坂(おんなころしさか)東海道五十三次

女転し坂(おんなころしさか)

な、なんと怖い名前の坂なのでしょうか。

箱根道の難所のひとつであり急な坂道が長く、馬に乗った婦人が
この付近で落馬して死んでしまったことから、「女転し坂」

いろんな坂道が登場します。
実際ずっと坂道ばかりで、もう全然ペースは上がりません。
幸いにも小雨の中だったので、暑くてばてなかったです。
トレイルランニングシューズにしようと悩んだのですが、あの濡れた
苔むしった石畳は、どんなシューズでも滑りますな。


割石坂 東海道五十三次


割石坂

曽我五郎が富士の裾野に仇討ちに向かう時、腰の刀の切れ味を
試そうと路傍の巨石を真っ二つに切り割ったところと
伝えられている、、、が
その石は、どの石なのか、、見当たらないな?


大澤坂 東海道五十三次

大澤坂

大沢川を渡った所。
幕末の下田奉行小笠原長保の「甲申旅日記」大沢坂入りは座頭転がし
ともいうとぞ、このあたり、つつじ盛んにて趣殊によし
と書かれている。
当時の石畳の道が一番良く残っている坂で、苔むした石畳が
往時をしのばせてくれますな。
しかし、これが滑ってねー。
下りでも走れたもんじゃない。


畑宿本陣跡 東海道五十三次

畑宿本陣跡 東海道五十三次


畑宿本陣跡

畑宿は郷土の伝統工芸箱根細工が生まれ、育った所。
畑宿で木地細工が作られた記録は、かなり古く、
小田原北條氏時時代までさかのぼる。

江戸時代畑宿は、箱根旧街道の間ノ村(あいのむら)として栄え、
たくさんの茶屋が並び名物の蕎麦、鮎の塩焼き、箱根細工が
旅人の足をとめたという。

今でもバスが止まり、観光客がおりてきた場所だ。

畑宿一里塚跡 東海道五十三次


畑宿一里塚跡。

畑宿の一里塚は、江戸日本橋から23里目に当たるもので、
明治時代以降、一部が削られてしまうなど江戸時代往時の姿は
失われてしまった。
その後の発掘調査と文献調査の結果を基に復元整備を行い、
箱根町の中では唯一往時の様子を現代に伝えるものである。

橿木坂(かしのきざか) 東海道五十三次

橿木坂(かしのきざか)

「新編相模国風土記稿」に「峭崖(高く険しい崖)に橿樹あり、
故に名を得」とある。
「東海道名所日記」には、険しきこと、道中一番の難所なり。
おとこ、かくぞよみける。

「橿の木の さかをこゆれば、
 くるしくて、
 どんぐりほどの 涙こぼる」

江戸幕府は延宝8年(1680年)箱根道を石畳道に改修した。
それ以前の箱根道は、雨や雪の後は大変な悪路になり
旅人は、ひざまで没する泥道を歩かねばならないため
竹を敷いていたが、毎年、竹を調達するのに大変な労力と
費用がかかっていたという。

というわけで、まだまだ、箱根道の坂道は続くのであった。

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2012.07.20

夜の高尾山へ

とにかく頂上は、人、人、ひと、一杯で
世界一混雑する山らしい>高尾山。

でも実体験は、、

ない。


雑誌やネットの情報だけではなくて、実際に自分の足で
行って確かめなきゃね。

というわけで、高尾山に行ってきました。


でも空いてましたよ。山頂は。
地元ヤンキーのお嬢さんが数名、一番山を見晴らす階段に
座って、雑談されていただけでした。

その後、カップル1組。
登山1グループ数名。


なぜ、そんなに人が少なかったのか?>高尾山頂上。

時間が遅いからです。

上り始めは、18時頃。多くの登山客が降りてきて駅へ向かっている中、
これまた誰もいない、蕎麦屋でとろろ蕎麦を食して、
ゆっくりと登り始めるのです。


高尾山 とろろ蕎麦

どのお店に行っても、そばに違いはないような感じですが、、、
値段も、800円くらいと協定が結ばれているのね。


高尾山へのルートは複数ありますが、今回選んだのは
6号路です。

これは、川沿いに続く道で、夏の暑い時期には歩きやすい
涼しい木陰の道なのです。

歩いている人は、少ないです。
途中すれ違った人(全員下り)は、10名くらい。
混雑していて、座る場所もない、なんていう情報や写真は
本当なのだろうか?


高尾山 6号路

大きな木が多くあって、その根っこが道まで覆っていたりします。
もののけ姫の世界に入り込んだようで、東京にも
良い場所があるもんだなー、と感心します。


高尾山 6号路 琵琶滝


途中あるのが、小さな琵琶滝。
この滝に打たれて、厳しい修行を重ね
いつかは立派な天狗になりましょう。

高尾山 6号路 大見晴園地


およそ3.5kmで、山頂に到着です。
まだ明るい時間に到着しましたが、山頂の売店は店を閉め、
車でバイトさんたちが帰っていきました。

なんだ、高尾山は山頂まで車で来れるんだ?

売店のジュースは、150円。かき氷は、500円。ビールは700円
だったかな。


高尾山 丹沢 大見晴園地

そこからは、綺麗な富士山は、、

見えませんでしたが、丹沢の山々は綺麗な深いブルーで
やがて闇に包まれていきました。

高尾山 夜景 東京


あっという間に暗くなり、山は見えなくなりました。
明るく見える東京の夜景。
天気がよければ、東京タワーやスカイツリーも見えるようです。


下りは、6号路ではなく、薬王院を目指します。
真っ暗です。
誰もいないので、ゆっくり撮影に専念出来ますね。
昼間はいったいどんな光景なんだろうか?


高尾山 夜景 薬王院


高尾山 薬王院


高尾山 薬王院


展望台ではビアガーデンが営業中。
上は、がやがやとっても煩い音が聞こえます。
高尾山にトンネルを造るな!
という反対運動もある反面、山の中腹でビール呑んで
酔っぱらって山を汚すってのはどうなのかね、、。

高尾山 ケーブルカー

下山してから、駅までの道には100mおきくらいに
警備の人が立っていて、「お静かに」に書いているプラカードを
掲げているのですよ。
そうゴルフの全英オープンでもやっているんかい、って感じでね。

そんだけ、酔っぱらいが、山から下りてきた煩いってことでしょ。
だったら、高尾山ビアマウントなんて、やめちまえよ。

酔っぱらい連中が降りてくる前に、駅まで移動。
静かに帰路に着きましたとさ。
めでたし、めでたし。


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2012.07.16

東海道五十三次を走る 平塚〜小田原 2日目完走

平塚の松並木くらいからは、すっかり雲は無くなり
好天になりました。

残念ながら、ジョギングで東海道五十三次を移動している
人には、嬉しくない展開ですな。

陸軍架橋記念碑


陸軍架橋記念碑 東海道五十三次


大正12年(1923年)9月1日。関東大震災によって馬入橋が倒壊し、
交通が途絶えた。
地元の消防組・在郷軍人会・青年団によって即日渡し船が運行されたが、
数日後の豪雨で流失し、しばしば中断していた。

9月17日、陸軍第15師団(豊橋)所属工兵大隊と第16師団(京都)
所属工兵大隊が急遽派遣され、架橋工事が開始された。

橋の全長450mのうち、馬入側の300mを第16師団、
茅ヶ崎側を第15師団が担当して、同年10月3日に完成した。
この記念碑は馬入側を担当した第16大隊の事績を讃えたものである。


わわっ!
なんかすんごい賑やかな光景が見えてきた。
こ、これは、そう平塚七夕祭りだ!

平塚七夕祭り 東海道五十三次

旧東海道五十三次は、まさに七夕祭りのど真ん中を突き進むのであります。
もちろん、この人、人、人、、走れません。

平塚七夕祭り お化け屋敷

お、お化け屋敷、発見!
このハイテクなデジタル時代であっても、やっぱり
入ってみたいお化け屋敷。

生ビールの誘惑に惑わされながら、なんとか祭りの喧噪を
抜けていきました。

平塚宿の江戸見附跡


ちょうど七夕祭りの最終地点、西側に平塚宿の江戸見附跡があります。


平塚宿脇本陣

平塚宿の脇本陣は、享和年間(1801〜1803)頃の宿場の様子を
描いた「東海道分間延絵図」には、西組問屋場より西に描かれているが、
天保年間(1830〜1844)には二十四軒町の北側のこの地に
山本安兵衛が営んでいたとされる。


平塚京見方見附

平塚京見方見附
平塚宿の家並みは、空襲やその後の区画整理により、往事を偲ぶ面影は
残っていない。
宿場の西の入り口であった京方見附の場所も定かではなくなった。
先人たちの言い伝えや歴史資料等によりこの辺りにあったものと
思われる。
初代広重の描いた五十三次平塚宿の錦絵もこの付近からの
眺めのものと思われ、変わらぬ高麗山の姿に往事の風情が
偲ばれる。

化粧井戸 東海道五十三次

民家の手前に何やら発見!
おおっ、これは井戸ですね。


化粧井戸 東海道五十三次

化粧井戸
「化粧」については、高来神社との関係も考えられるが、伝説によると
鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった。

当時の大磯の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み、
朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたので、この名がついた。

この井戸の少し行った付近に化粧坂(けわいざか)の一里塚があった。

非常に良い天気になってきたので、暑くてたまらん。
もう快晴って嫌だね。
海はすぐ近くなんだけど、無駄に走りたくないので
道路沿いの看板を見ていくだけ。

湘南発祥の地 東海道五十三次

そうこの辺りは、海水浴場発祥の地、湘南発祥の地
そう大磯なのです。
昨年の湘南国際マラソン以来ですな。
私の祈念すべき、初フルマラソンでした。

鴫立庵(しぎたつあん) 東海道五十三次

鴫立庵(しぎたつあん)
寛文4年(1664)小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりで、
元禄8年(1695)俳人の大淀三千風が入庵し、第1世庵主となった。
現在は京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つ。


東海道小八幡の一里塚跡 東海道五十三次


東海道小八幡の一里塚跡
今や、ごく普通の民家が建ってます。

旧東海道に設置された19番目の一里塚があった場所。
小八幡の一里塚について、天保年中の相模国風土記稿に
「東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、
塚上に松樹あり上は小田原宿入口一里塚、下は山西村小名梅沢の
一里塚に続けり」とある。

鹿飛び出し注意 東海道五十三次

えっ、本当か?
鹿が出てくるの、ここはすぐ海なんだけど。
国道1号線だよ。


新田義貞の首塚 東海道五十三次

新田義貞の首塚
という看板に釣られて、海の方へ走ってきたけど
そこは単なる駐車場で、何も残っていませんでしたとさ。


よっしゃー、ついに小田原到着!


小田原城跡 江戸口見附 東海道五十三次

小田原北条氏は、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに対し
総構といわれる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、城のみならず
城下町までを取り込んだ戦国最大級の城郭を築いた。

江戸時代には、小田原城下に入る東海道の東の出入り口として、
西の板橋口及び甲州道の井細田口とあわせて、城下を警護する
重要な門としての役割を担っていた。


ういろう 東海道五十三次

で、これは小田原城
ではなくって、名物「ういろう」のお店。
ういろうと言えば名古屋のお菓子だけど、小粒の丸薬として
旅人の胃腸薬、船酔いの薬としての常備薬だったという。

薬とお菓子は、名前は同じでも違うものなのでしょうか。
マラソンランナーに効く、サプリメントなんか開発してくれないかな。


小田原城 東海道五十三次


実は小田原城に来るのは、2週連続でした。
先週は、雨の中コスプレ撮影。
この日は、快晴の中、綺麗な小田原城を見る事ができました。

汗だくになったので、お風呂へ行きます。
小田原駅から10分もかからないところにある万葉の湯へ。
入浴だけなら、60分で1200円。

受付の順番待ちのときに、後から突っついてきたおばさんを
のぞけば、ゆったりとできる良い温泉でした。

順番待ちでいくら前の人にくっ付いても、自分の順番までは
温泉には入れませんよ。
何をそんなに急いでいるのか、おばさんよ。

ひとり順番追い越しても、温泉は逃げやしない。

人はいつか死ぬ。
その時間は大して変わらんよ。
急いで他人と争いを起こしてまで、はやく温泉に入りたけりゃ
私を後ろから撲殺して、受付へ突っ走ればよろし。


ガーミン 走行データ

走行距離: 43.85 km
タイム: 5:50:27
平均ペース: 7:59 min/km
高度上昇値: 216 m
カロリー: 3,012 C

費用
コンビニ:629円
なか卯 牛丼:290円
ドリンク1本自販機:120円
万葉の湯:1200円
箱根ベーカリー ビールとピザ:850円
電車:1860円

次回からは青春18切符の出番ですね。

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2012.07.15

東海道五十三次を走る 戸塚〜 平塚(茅ヶ崎)

2012年7月8日 日曜日。
昨日は豪雨、今日は少し雨。

東海道五十三次を走る 第2ステージは、前回のゴール
戸塚からのスタートです。

前回来ているので、駅からはすぐに東海道のラインへ。

コンビニで買ったおにぎりを食べながら、バス停から道路
まで歩いて移動。

少し雨が降っているが、暑いからちょうど良いくらいだ。
念のため、ゴアテックスのカッパ上着だけザックの
ポケットに突っ込んできた。

モンベルの登山用パンツ

モンベルの登山用パンツは、ちゃんと雨水を弾いて
綺麗な水滴ができている。


ipod touch には、ジップロックの袋で防水仕様

ipod touch には、ジップロックの袋で防水仕様にしてきた。


8時8分。戸塚駅前をスタート。


大坂松並木

大坂松並木 東海道五十三次


大坂では天気の良い日には、松並木から素晴らしい
富士山の眺めが見れたことから、多くの浮世絵の
題材にされた。

江戸時代には、かなりの急坂だったが、昭和7年から
はじまった改修工事により、現在ではジョギングでも
きくつないくらいの坂道になっている。

少し雨が降っているけど、カッパを着る程ではないな。
やはり梅雨なので、雨は避けられないけど、陽が出たら
暑くなるので、このくらいがいいかもしれん。

お軽勘平の碑

お軽勘平の碑 東海道五十三次


歌舞伎,浄瑠璃(じょうるり)「仮名手本忠臣蔵」の登場人物。
塩冶(えんや)家の家臣早野勘平は主君刃傷の日
恋仲の腰元お軽と逢い引きをしていたために失態を演じる。

お軽の実家に身をよせたが、あやまって人を殺し切腹する。
のちお軽は京都祇園一力茶屋の遊女となった。
勘平のモデルは浅野長矩の刃傷事件を最初に赤穂に
つたえた萱野三平重実。

原宿一里塚跡


原宿一里塚跡 東海道五十三次

ここ原宿一里塚は、江戸日本橋から11里目にあたる。
塚の付近に茶店などがあったので、原宿と呼ばれるようになった。
明治9年に取り払われて、現在はその原型は無い。


諏訪神社

諏訪神社 東海道五十三次

創建年代は不明ですが、明治40年に山谷仲町から、このあたりに移転して出来た神社。
周辺が鉄砲宿と呼ばれていた事から、武神の諏訪神社を勧請したと言われている。
影取の地名の由来となった影取池は、この神社の奥にあったと伝えられている。


遊行寺坂

遊行寺坂 東海道五十三次

これはこれは、けっこうな坂道ではないですか。
東海道五十三次を江戸から走って来ると、ここはずっと続く下り
なので、楽に通過出来るのですが、逆だとぞっとしますね。
箱根駅伝の復路 第8区の難所がここ遊行寺坂なのです。


坂道を下り切って藤沢に入りました。

藤沢 東海道五十三次


蒔田本陣跡 東海道五十三次


蒔田本陣跡。 ここも看板だけのようです。
藤沢宿の本陣は、江戸時代中期から蒔田源右衛門が勤めました。

パウンドケーキ 東海道五十三次


戸塚駅を出発してから、1時間42分でコンビニで買った
パウンドケーキを食べて休憩。
茅ヶ崎高校前のセブンイレブンです。

ここまでの走行距離は、14.24km。
小雨で暑くないため、いいペースで走ってます。

茅ヶ崎に住む従兄弟へ電話しますが、応答無し。
(後日情報:携帯電話を家に忘れたまま、お出かけされていたとのこと
 湘南国際マラソンの時に、会いましょう!)

東海道の松並木

東海道の松並木 東海道五十三次

茅ヶ崎市内の国道1号線沿いの黒松は幹周り(地上より1.2mの高さで測定)
2.2m(推定樹齢400年)の大きな松が育っている。
遠い昔より、地域の人達に親しまれ江戸時代の松並木は旅人に安らぎを
あたえ、この風景はその時代の画家、安藤広重の東海道五十三次にも
描かれている。
茅ヶ崎の貴重な文化財となっている。


東海道を200年以上見守ったクロマツ


東海道を200年以上見守ったクロマツ 東海道五十三次

この切り株は、高さ20m、太さ2.5m、樹齢は約200年
(江戸時代後期から生息)で、茅ヶ崎地区に植樹されたクロマツの
中で一番の巨木だった。
平成21年3月に腐朽のため伐採されたが、茅ヶ崎駅北口周辺と区別景観
まちづくり地区のランドマークであった証をモニュメントとして
残し、その記憶を継承している。


走行日:2012/07/08

まだまだ、続きます。




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東海道五十三次を走る おすすめアプリ
東海道五十三次を走る 準備 web 本
東海道五十三次を走る 保土ヶ谷〜戸塚 1日目完走
東海道五十三次を走る 神奈川〜保土ヶ谷
東海道五十三次を走る 日本橋〜神奈川
東海道五十三次を走る 日本橋〜戸塚 出発編


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2012.07.09

東海道五十三次を走る おすすめアプリ

どうせ東海道五十三次を走るんなら、江戸時代の人達と
同じ道、そう旧東海道をできるだけ正確にトレースしたいもんです。


でも、平成の現代。
道路はすっかり舗装され、海岸線も変貌し、旧道らしい
表示があったり、なかったり、、、。

やっぱり資料が必要です。
東海道五十三次のガイド本か、詳細な地図か、

本屋で探すも、走りながら簡単に取り出せるような
便利な本や地図は見つかりません。

そこでiphoneアプリで東海道をキーワード検索!

とっても良いアプリを発見しました。

東海道五十三次


有料のアプリですが、350円なのでガイド本や地図を
買うより安いです。

何より、荷物が増えないというのが、走り旅には最適です。

iphoneのGPSで現在位置が確認でき、その場所が旧東海道の
ルートからどれだけ離れているか、すぐわかります。

マップに表示されているラインが旧東海道なので、
国道からの分岐が近くなれば、画面を拡大していけば
ミスコースすることはありません。

ルート上にある各種ポイントも表示されます。

宿場:本陣をポイントされています。
一里塚
広重の浮世絵

走りながら、写真を撮るポイントはこのアプリの表示で
簡単に見つける事が出来ます。


私の場合は、iphone ではなく、ipod touch とイーモバイルなので
位置が正確には表示されません。
しかし100mも離れることはないので、自分の居場所が不明に
なることはありません。

バッテリー切れという課題が浮上してきますが、これは予備タンク
の装着で解決しました。


実はipod touch にはぴったりではないんですが、
iphone4用なら、装着はほぼ可能です。


東海道五十三次:350円


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2012.07.07

東海道五十三次を走る 準備 web 本

いったい何をきっかけに東海道五十三次を走ろうと
思ったのか?

今となっては、どうでも良い事です。

昨年夏の東急池上線全線走破(もちろん走る)を思い出すと
やはり夏は、走るのがきつい。

東急池上線 全駅走破!

そのために飽きずに続ける工夫が必要。
テーマがあれば、暑くても楽しく走れる。

漠然と頭に浮かんだのが、山手線一周と東急大井町線走破。
これは鉄道シリーズ。

歴史シリーズとして東海道五十三次を候補に、インターネットで
情報収集をしてみた。

ちなみに私の歴史シリーズ旅は、セローで少し走った
四国の坂本龍馬脱藩の道、オーストラリア悲劇の探検隊
恐るべき空白 バーク&ウィルズを追うアウトバックサイクリングがある。

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東海道五十三次を歩いている人は多くて、サイトやブログも
たくさんヒットする。

では、走った人はどうかというと、これはあまり出てこない。
いないわけではないけど、数はとても少ない。


常歩・速歩・駆歩 :くぼっちさん
http://ameblo.jp/kubo-che/

トレイルランニングでレースにもたくさん参戦されている
くぼっちさんのブログです。
フルマラソンを3時間30分切りまで、もうちょっとという
実力者でもあります。

私が漠然と考えていた東海道五十三次を走る を
実際に行う契機となったのが、くぼっちさんのブログです。

東海道五十三次の歩き旅のサイトやブログが多いですが
走っている人のブログは、珍しいです。

私と同じく東京日本橋から、西へ向けて走っていらっしゃいます。


で歩きは、

東海道53次ウォーク :和田さん
http://tokaidowalk.com/

WADA-blog(わだぶろぐ)の和田さんが2009年に
東海道五十三次を歩いた記録をまとめてあるサイト。
さすが、その道のプロが作ると立派なサイトに
なるんですね。

見やすくて、とても良い構成で、これから歩いて
東海道五十三次を旅しようとする人には
とても参考になるでしょう。

ところで、最近、和田さん主催?のイベントはやってるのかな。
過去に、ビール呑んだり、ウイスキー呑んだり、チョコレート
食ったりしたのは、和田さんからのお誘いだったような、なかったような、、


本はいくらでもあります。
なので特別に買う必要もないかもしれません。

図書館へ行けば無料で読めますから、時間がある人は
図書館通いが一番安く、知識をたくさん頭にいれられます。

私は、もっぱら本屋で立ち読みでした。

そんな中、いろんなサイトで紹介されていたのが
東海道を歩く旅 という旅の本。

アマゾン→東海道を歩く旅―宿場町と街道名所をめぐる特選10コース&完全踏破 492km (エコ旅ニッポン 1)


これは、実際に歩いて旅する人の為に、モデルコースが
10コース選定され紹介されている。

で、自分もこの本は買っとこうかな、っと書店へ行って
探して手に取ってみると、、、

なんと最初に1冊だけ買った、東海道五十三次の本だった。

なんだ、自分もちゃんと、いい本を買っていたのね。
買う時にカバーをつけてもらったので、本の表紙がどんな
写真だったか記憶にない。

パラパラっと中を見れば、あっ、これ持ってるわ、ってね。

結局その後、本は買わず。

一番肝心な旧東海道をトレースする方法は、本や古地図では
なくって、、、

それは次回、紹介します。


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ciste Japan シスト日本

フランス発祥といわれるシスト。
宝探しゲームです。


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2012.07.01

東海道五十三次を走る 保土ヶ谷〜戸塚 1日目完走

権太坂を上り切り、次に現れたのは、
境木立場跡。


境木立場 東海道五十三次

境木立場 東海道五十三次

境木の立場は、権太坂からの難所が続く中、見晴らしの良い
高台で西に富士山、東に江戸湾を臨む景観は素晴らしく、
旅人が必ず足を止めたといわれる名所だった。

また茶屋で出された牡丹餅は境木立場の名物として
広く知られており、たいへん賑わったということだ。

まあ、いまはそんなに良い景観ではないけどね。
牡丹餅も売ってないな。

境木の由来

武蔵国と相模国の国境で、江戸時代にはその印として
傍示杭(ぼうじくい)あるいは境杭と呼ばれる木柱が
建てられ、「境木」の名の由来になったと伝えられている。
また欅の大木があったという説もある。

焼餅坂 東海道五十三次

さてようやく下り坂になった。
しかも、舗装路の激下り坂で、足にも、膝にも
ダメージが出るくらいだ。

境木立場で焼いた餅や、牡丹餅が売られていたので
焼餅坂と呼ばれている。

品濃一里塚 東海道五十三次


品濃一里塚(しなのいちりづか)

この一里塚は、日本橋から9番目、保土ヶ谷宿と戸塚宿の
間に位置し、旧東海道を挟んで西側は品濃村、東側は平戸村に
位置している。

このように、道の両側に塚が残っているところは
神奈川県内でもここだけだ。


品濃坂の階段を下り、歩道橋で国道1号線を渡り、
また坂を下っていく。


益田家のモチノキ 東海道五十三次

益田家のモチノキ
神奈川県指定天然記念物に指定されている
大きなモチノキがあった。

樹高18mと19mの2本からなる。
通常モチノキは、3〜7mの高さだというから、
この2本がいかに大きいかがわかる。


吉田一里塚跡 東海道五十三次

吉田一里塚跡

ここは案内板のみ。
慶長9年に設置された一里塚。
明治の早い時期に壊されてしまったらしい。

日本橋から10番目の一里塚だ。 
ということは約40km走ってきたことになる。

ゴールは近いぞ!


最後は国道1号線をゆっくりと下っていき
戸塚駅に到着。

いやー、疲れた。

走ったり、止まったり、歩いたり、
LSDといえば格好良いけど、早歩きの東海道五十三次
といった感じかな?

戸塚駅にくるのは、ここにラジコン天国があった頃以来だから
何年ぶりだろうか?
駅周辺はすっかり様変わりしており、まったく初めて来たのと
変わらない。

トレイルランニングの格好で駅をうろつくが、行く当てもない。
トイレで着替えて、ドトールへ行く。

なんか、疲れてしまって、コーラか珈琲をがぶ飲み
したかったんだよな。

まずは、東海道五十三次の1日目の完走に乾杯!



走行距離: 44.55 km
タイム: 6:39:46
平均ペース: 8:58 min/km
高度上昇値: 266 m
カロリー: 3,137 C

費用
ドリンク3本:340円
冷やしきつねうどん:650円
電車:600円
今回は、通勤パスモが使える区間が長かったため
電車代は少なかったです。


今回の装備

サンバイザー:アディダス
ザック:ノースフェイス マーチンウィング10
今回は市街地が多いので、ハイドレーションは無し。

シューズ:アディダス アディゼロ mana6
ソックス:アディダス5本指、滑り止め付き

デジカメ:ソニー Cyber-shot DSC-HX5
GPS:ガーミン フォアアスリート405

携帯端末:
ウィルコムWX330K(プライベート)
ドコモ(仕事用)
イーモバイルGP02
iPot touch
リチウムイオンチャージャー for iPhone4 1950mAh
サンヨー USB出力リチウムイオンバッテリー KBC-L54D 5400mAh

使わなかったけど、念のためのゴアテックスレインウェア上着のみ。
着替えとタオル。
電車内のパンツは、モンベルの夏用山パンツ。
ファスナーで下部が外れて、7分丈パンツになる、軽くて便利パンツ。

エナジージェル1個。アミノバイタル1本。




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