東海道五十三次を走る 小田原から箱根越え
学生さんは、夏休みに入りました。
夏の旅行は、旧東海道なんていかがですか?
というわけで、2012年7月21日に東海道五十三次を走る
第3回目のため、まずは小田原駅へ行きます。
東京の家から、ちょっと遠くなってきて電車代もきになるところです。
今回からは、青春18切符を使います。
青春とか18とか、ついてますけど、おっさんもちゃんと
購入できますので、勇気をもってみどりの窓口へ行ってみましょう。
前回のゴールが、次回のスタートなので駅周辺は
地理に困らないのが、この計画の良い所です。
朝が早かったので、コンビニで食料を仕入れます。
鶏五目おこわと、てりたまスパロール。
駅を出て、すぐにゴアテックスのカッパを着ます。
夏の時期の貴重な涼しい雨で、気温は20℃+アルファ
くらいで、久しぶりにCW−Xも履きました。
小田原城を毎週観ているような気がするけど
今回は城内は通らず、まっすぐに国道1号線を目指します。
8:40ころ、小田原城近くをスタート。
板橋(上方)口
東海道に対応する小田原城外郭の西側の出入り口が設けられていた場所。
国道1号線は、まっすぐ西へ直進しているが、かつての東海道は
板橋口を出ると一度北へ折れて、再び西に曲がっている。
旧道はそのルートですすみます。
日本初の有料道路
この写真の場所がそうなのかは不明ですが、その案内がある記念碑が
道路脇にひっそりと建てられていました。
明治8年(1875)9月、小田原の板橋から湯本まで全長4.1km
幅員平均5mの我が国初の有料道路が開通した。
福沢諭吉からの
「箱根の山に人力車の通れる道を造れ」
と提言され、二宮尊徳の高弟として知られる福住正兄が
建設の先頭に立ったという。
江戸日本橋から、22番目の一里塚跡。
最初に現れた石畳の道への分岐です。
右へ降りていくと、やがて石畳の道になります。
江戸幕府は、延宝8年(1680)に箱根旧街道に石を敷き、舗装をした。
ここから約255mは、その面影を残しており、国の史跡に指定されている。
女転し坂(おんなころしさか)
な、なんと怖い名前の坂なのでしょうか。
箱根道の難所のひとつであり急な坂道が長く、馬に乗った婦人が
この付近で落馬して死んでしまったことから、「女転し坂」
いろんな坂道が登場します。
実際ずっと坂道ばかりで、もう全然ペースは上がりません。
幸いにも小雨の中だったので、暑くてばてなかったです。
トレイルランニングシューズにしようと悩んだのですが、あの濡れた
苔むしった石畳は、どんなシューズでも滑りますな。
割石坂
曽我五郎が富士の裾野に仇討ちに向かう時、腰の刀の切れ味を
試そうと路傍の巨石を真っ二つに切り割ったところと
伝えられている、、、が
その石は、どの石なのか、、見当たらないな?
大澤坂
大沢川を渡った所。
幕末の下田奉行小笠原長保の「甲申旅日記」大沢坂入りは座頭転がし
ともいうとぞ、このあたり、つつじ盛んにて趣殊によし
と書かれている。
当時の石畳の道が一番良く残っている坂で、苔むした石畳が
往時をしのばせてくれますな。
しかし、これが滑ってねー。
下りでも走れたもんじゃない。
畑宿本陣跡
畑宿は郷土の伝統工芸箱根細工が生まれ、育った所。
畑宿で木地細工が作られた記録は、かなり古く、
小田原北條氏時時代までさかのぼる。
江戸時代畑宿は、箱根旧街道の間ノ村(あいのむら)として栄え、
たくさんの茶屋が並び名物の蕎麦、鮎の塩焼き、箱根細工が
旅人の足をとめたという。
今でもバスが止まり、観光客がおりてきた場所だ。
畑宿一里塚跡。
畑宿の一里塚は、江戸日本橋から23里目に当たるもので、
明治時代以降、一部が削られてしまうなど江戸時代往時の姿は
失われてしまった。
その後の発掘調査と文献調査の結果を基に復元整備を行い、
箱根町の中では唯一往時の様子を現代に伝えるものである。
橿木坂(かしのきざか)
「新編相模国風土記稿」に「峭崖(高く険しい崖)に橿樹あり、
故に名を得」とある。
「東海道名所日記」には、険しきこと、道中一番の難所なり。
おとこ、かくぞよみける。
「橿の木の さかをこゆれば、
くるしくて、
どんぐりほどの 涙こぼる」
江戸幕府は延宝8年(1680年)箱根道を石畳道に改修した。
それ以前の箱根道は、雨や雪の後は大変な悪路になり
旅人は、ひざまで没する泥道を歩かねばならないため
竹を敷いていたが、毎年、竹を調達するのに大変な労力と
費用がかかっていたという。
というわけで、まだまだ、箱根道の坂道は続くのであった。
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