東海道五十三次を走る 戸塚〜 平塚(茅ヶ崎)
2012年7月8日 日曜日。
昨日は豪雨、今日は少し雨。
東海道五十三次を走る 第2ステージは、前回のゴール
戸塚からのスタートです。
前回来ているので、駅からはすぐに東海道のラインへ。
コンビニで買ったおにぎりを食べながら、バス停から道路
まで歩いて移動。
少し雨が降っているが、暑いからちょうど良いくらいだ。
念のため、ゴアテックスのカッパ上着だけザックの
ポケットに突っ込んできた。
モンベルの登山用パンツは、ちゃんと雨水を弾いて
綺麗な水滴ができている。
ipod touch には、ジップロックの袋で防水仕様にしてきた。
8時8分。戸塚駅前をスタート。
大坂松並木
大坂では天気の良い日には、松並木から素晴らしい
富士山の眺めが見れたことから、多くの浮世絵の
題材にされた。
江戸時代には、かなりの急坂だったが、昭和7年から
はじまった改修工事により、現在ではジョギングでも
きくつないくらいの坂道になっている。
少し雨が降っているけど、カッパを着る程ではないな。
やはり梅雨なので、雨は避けられないけど、陽が出たら
暑くなるので、このくらいがいいかもしれん。
お軽勘平の碑
歌舞伎,浄瑠璃(じょうるり)「仮名手本忠臣蔵」の登場人物。
塩冶(えんや)家の家臣早野勘平は主君刃傷の日
恋仲の腰元お軽と逢い引きをしていたために失態を演じる。
お軽の実家に身をよせたが、あやまって人を殺し切腹する。
のちお軽は京都祇園一力茶屋の遊女となった。
勘平のモデルは浅野長矩の刃傷事件を最初に赤穂に
つたえた萱野三平重実。
原宿一里塚跡
ここ原宿一里塚は、江戸日本橋から11里目にあたる。
塚の付近に茶店などがあったので、原宿と呼ばれるようになった。
明治9年に取り払われて、現在はその原型は無い。
諏訪神社
創建年代は不明ですが、明治40年に山谷仲町から、このあたりに移転して出来た神社。
周辺が鉄砲宿と呼ばれていた事から、武神の諏訪神社を勧請したと言われている。
影取の地名の由来となった影取池は、この神社の奥にあったと伝えられている。
遊行寺坂
これはこれは、けっこうな坂道ではないですか。
東海道五十三次を江戸から走って来ると、ここはずっと続く下り
なので、楽に通過出来るのですが、逆だとぞっとしますね。
箱根駅伝の復路 第8区の難所がここ遊行寺坂なのです。
坂道を下り切って藤沢に入りました。
蒔田本陣跡。 ここも看板だけのようです。
藤沢宿の本陣は、江戸時代中期から蒔田源右衛門が勤めました。
戸塚駅を出発してから、1時間42分でコンビニで買った
パウンドケーキを食べて休憩。
茅ヶ崎高校前のセブンイレブンです。
ここまでの走行距離は、14.24km。
小雨で暑くないため、いいペースで走ってます。
茅ヶ崎に住む従兄弟へ電話しますが、応答無し。
(後日情報:携帯電話を家に忘れたまま、お出かけされていたとのこと
湘南国際マラソンの時に、会いましょう!)
東海道の松並木
茅ヶ崎市内の国道1号線沿いの黒松は幹周り(地上より1.2mの高さで測定)
2.2m(推定樹齢400年)の大きな松が育っている。
遠い昔より、地域の人達に親しまれ江戸時代の松並木は旅人に安らぎを
あたえ、この風景はその時代の画家、安藤広重の東海道五十三次にも
描かれている。
茅ヶ崎の貴重な文化財となっている。
東海道を200年以上見守ったクロマツ
この切り株は、高さ20m、太さ2.5m、樹齢は約200年
(江戸時代後期から生息)で、茅ヶ崎地区に植樹されたクロマツの
中で一番の巨木だった。
平成21年3月に腐朽のため伐採されたが、茅ヶ崎駅北口周辺と区別景観
まちづくり地区のランドマークであった証をモニュメントとして
残し、その記憶を継承している。
走行日:2012/07/08
まだまだ、続きます。
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