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2012.08.01

東海道五十三次を走る 箱根、三島、沼津 3日目完走

東海道五十三次を走るの3回目。
小田原から箱根峠を越えて、静岡県に入りました。


接待茶屋 東海道五十三次

接待茶屋

箱根山を往来する人達の苦難を救う為に、人や馬に粥や飼葉、
焚き火を無料で施したと伝えられている。

この接待所も一時途絶え、つで文政7年(1824)、江戸の豪商
加勢屋与兵衛が再興したが、これも明治維新とともに中断してしまった。

やがて明治12年(1879)八石性理教会によって接待茶屋は
再スタートしたが、教会の衰退とともに鈴木家に引き継がれ、利喜三郎
、とめ、力之助、万太郎、ときらの三代により接待が続けられた。

鈴木家は、昭和45年(1970)に茶釜を降ろし、接待茶屋の歴史に
終止符を打つまでの約90年間、箱根を往来する人馬の救済に
あたった。

しかし、今はバス停のみで、誰も接待してくれず。


かぶと石 東海道五十三次

かぶと石

この石は兜を伏せたような形をしていることから
かぶと石といわれている。
また別の説として傍らの碑銘によれば豊臣秀吉が小田原征伐のとき
休息した際、兜をこの石の上に置いたことから、かぶと石と
よばれるようになったともいわれている。

この石は、兜石坂にあったものを昭和初期に国道1号線の拡張工事の
とき、この地に移設されてきたものである。


念仏石 東海道五十三次

念仏石

ここに突き出ている大きな石を、土地の人は念仏石と呼ぶ。
この念仏石の前に「南無阿弥陀仏・宗閑寺」と刻んだ碑があるが、
旅の行き倒れを宗閑寺で供養して、碑を建てたものと思われる。

山中新田 東海道五十三次

県によって、東海道五十三次の碑は変わってきます。
この立派な道標は、静岡県バージョン。


雲助徳利の墓  東海道五十三次


雲助徳利の墓

西国大名の剣術指南であった九四郎なる人物が酒がもとで事件を起こし、
国外追放となりここ箱根へ流れ着いた。

剣術の腕前に優れ、読み書きができるのでいつのまにか雲助仲間に
親分として慕われる事になったが、酒が原因で命を縮め亡くなった。
世話になった雲助たちが死後墓を建ててくれ「あの世でも好きな酒を」
と盃と徳利を刻んだという。


中山城跡 東海道五十三次

中山城跡

ここは寄り道せずに素通り。
道路の向かいにあったお店はうなぎ屋さんだったかな?
すごくいいにおいで、一気に腹が減ってきた。
まだ何も食べてない。


芭蕉 山中新田 東海道五十三次


芭蕉の句碑。


松雲寺 東海道五十三次

松雲寺

寺本陣旧跡と書いてあった。また、明治天皇史跡などもある。
富士山の絶景ポイントらしいが、この日は何も見えず。


一番亭三島塚原店でランチ


当初予定していた三島まで来てしまったので、このあとの
沼津まで一気に走る事に決定!
もう下りだからね。

さてその前に腹ごしらえ。
14時過ぎ、一番亭三島塚原店でランチ。
もやしと豚肉の炒め、半ラーメンとライスのセットで
609円でした。


錦田一里塚 東海道五十三次

錦田一里塚

この一里塚は、江戸日本橋より始まる東海道の28里(約112km)の
地点にあり、松並木の道路を挟んで向かい合って一対残っており、
旧態を保っていてたいへん貴重である。

愛宕坂 東海道五十三次

愛宕坂

石畳の修理の記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3.6mを
修理した」とあり、当時の道幅がわかる。

現在この道は、石畳風に整備されている所と、その下には往時の石畳が
埋まっている所とがある。

両側の松並木敷のうち、南側の並木敷だけ復元したもので、この先の
初音原の松並木に続いている。

江戸時代には、現在の東海病院の敷地には、愛宕社ほかの社寺があったが
現在は「愛宕山」と刻んだ碑だけが頭上のこんもりとした小山に
残っている。

三島からはもう上り坂はないかと思っていましたが、
いやはやこの坂は後半かなりきつかった。

三島神社 東海道五十三次


三島神社です。
ここまで来る予定が無かったので、予備知識ゼロ。
立派な神社ですね!
結婚式を終えたカップルがクラシックカーへ乗り込む
ところを目撃しました。

しかしお参りもせず、素通り。

玉井寺 一里塚 東海道五十三次

宝池寺 一里塚 東海道五十三次

玉井寺 一里塚

江戸日本橋から29里(113.9km)の道標。
宝池寺一里塚も同時に作られていたが、昭和60年(1985)に改修
されている。
この玉井寺一里塚は、昔の姿をそのままに残している。
ちゃんと小山と木があるのだ。


日本三大仇討の一  東海道五十三次

日本三大仇討の一 (ひとつ)

平作地蔵尊の由来
この地蔵尊はいつ頃創建されたか明らかではないが、有名な浄瑠璃
「伊賀超道中双六」に出てくる沼津の平作のゆかりの深い地蔵尊
としてその名を知られている。


平町の一里塚と玉砥石


平町の一里塚と玉砥石

江戸日本橋から30里のところにある一里塚。
周囲は住宅地の中の小公園になっていて、付近の住民の憩いの場となっている。

手前には県指定有形文化財(考古資料)の『玉砥石(たまといし)』がある。
今から1300年程前、玉類を磨くために用いられたと考えられている。

とても砥石には見えませんが、いったいどうやってこれを使っていたのかな?

三枚橋城石垣

三枚橋城石垣

武田勝頼により天正7(1579)年頃に、この地に築城された三枚橋城は、
慶長18(1613)年に大久保忠佐を最後の城主として廃城となった。
この石垣は、アゴラ沼津の地下から発見された三枚橋城の本丸入口付近
の石垣の一部を復元したものである。

沼津城本丸跡

沼津城本丸跡

沼津城は、安永9年(1780)水野忠友が築いた城で、明治5年、
静岡県によって解体された。
付近は中央公園となっており、狩野川の西岸、御園橋と御成橋の中間にある
『あゆみ橋』(歩行者専用)につながり、市街地の憩いの場となっている。

スケボー小僧がやたらうるさかったな。

ガーミンデータ 沼津ゴール


というわけで沼津駅でゴール。
天気は悪くて富士山がまったく見えなかったけど、もう夏のこの時期は
雨や曇りを狙って先に進むしかありません。


三島から市街地に入り、人や町の雰囲気がこれまでとは違ってきました。
小田原までは、関東なんでしょうね。
なんとなくそんなことを感じながら沼津を走りました。

事前に三島ではスーパー銭湯があると調べていたのですが、予定以上に
走ったため、沼津ではお風呂に行けず。

薬局で、メンズボデーなんちゃらを買って、体を拭き拭き、、、
トイレで着替えて、缶ビールをバス停で独り呑み。

帰りの電車では、一気に東京まで行けず、まずは熱海行きに乗って
それから東海道線に乗り換えるという、もうかなりの長距離鉄道移動に
なってきました。

夏休み、どこまで行けるかな?

ガーミン走行データ


2012年7月21日 土曜日 雨のち曇り 箱根は霧

距離: 39.75 km
タイム: 7:06:02
平均ペース: 10:43 min/km
高度上昇値: 1,070 m
カロリー: 2,585 C

費用
コンビニ:280円
一番亭ランチ:609円
ドリンク1本自販機:150円
薬局:376円
ローソン ビールとか:355円

電車 私鉄:300円
JRは青春18切符:2300円


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コメント

お疲れ様でしす。
駿河国まで来ましたね!^^

私は安部川の手前です。
暑いので、熱中症に気を付けましょうね・・・お互い

投稿: くぼっち | 2012.08.02 01:07

くぼっちさん

コメントありがとうございます。

もう暑くて、暑くて、8月は夏休みで少しは
すすめると考えていたのですが、
ちょっと東海道五十三次は中断。

山にでも行こうかと思っています。

投稿: J-KING | 2012.08.02 23:19

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