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2012年9月

2012.09.27

東京マラソンの抽選結果は、、?

2012年9月26日水曜日。

いよいよ今日か。

東京マラソンの抽選結果が判明するドキドキの日なのだ。
日中もメール受信がある度に、期待が高まる。

ただしいくら期待しても、それは抽選。

午後になってもメールは来ない。

もしや、時間がかかっているってことは、残念落選ではなくって、、

とやはり期待してしまうのだけど、

夕方のメールで、落選通知を受信。

嗚呼〜、今年はもうダメダメな年なのかな〜。


大坂マラソン 落選。
神戸マラソン 落選。
そして
東京マラソン 落選ほぼ決まり。

ONE TOKYOのプレミア会員なので、もう一度、抽選のチャンスがある。
まあそれは、残り僅かのラストチャンス。

今、抽選待ちは、京都マラソン。

東京マラソンは、ボランティアで参加してみるのも良いかと
考えているけど、マスクマンは無理、、っか。



東京マラソンで探してみようか

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2012.09.25

5本指シューズ 裸足の効果

BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”


アメリカで大ヒットしたこの本は、日本語版も出版されている。

これをきっかけに、裸足ランニングというものが注目されるようになり、
各メーカーが五本指シューズを販売し始めた。

本来の人間が持っている、裸足で走るという機能を
呼び覚まし、より強く、長時間でも走り続けることができる。


現代のランニングブームは、健康志向や団体チームではなく
個人でのスポーツ参加や、ダイエットなどからきているだろう。

女性が一気に増えたのは、なんといってもカラフルでおしゃれな
ランニングウェアーやシューズが出てきてファッションという
楽しみが増えたからだ。

スポーツショップに行けば、初心者からフルマラソン3時間をきる
トップランナーまでに、対応した様々なランニングシューズを
買う事ができる。

そのシューズにしっかりと足を守られて、走っているのが
現代のランナーだ。


しかしランニング用のシューズがこの世に出てから、まだ半世紀も
経っていない。
人類の歴史からは、ほんおわずかの期間だけしか我々は靴を
履いて歩いたり走ったりしていないのだ。

レオナルドダヴィンチは、
人間の足は、素晴らしく複雑な機能の固まりだと言っていた。


5本指と数十本の骨、それを繋ぐ靭帯と筋肉、筋膜。
地面からの衝撃を和らげ、路面状況を瞬時に判断する感覚。


ランニングシューズは、それらを体の代わりに受け止めてくれる
素晴らしい道具のはずだった。
もちろん、それにより素晴らしい陸上の記録も生み出されたし、
険しい山や、未開地は踏破されてきた。


自分の足で、地面に立ち、踏み、蹴る、そんな感覚はいつの間にか
無くなってしまった。


私が卒業した熊本の田舎の小学校は、全員が裸足だった。
4月に入学してから、10月の運動会までは、全員が裸足でグランドを
走り回る。

体育の授業で靴を履く児童はいない。
靴は家から、小学校までを安全に歩く為に履いているのだ。

グランドと校舎の靴箱がならぶ入り口には、プールにあるような
足だけに水道の水があたる足洗い場がある。

体育が終わったら、皆そこで足を洗って教室へ戻っていくのだ。


1993〜1994年、1998〜1999年にかけて、私はオーストラリアとニュージーランドを
バイクや自転車で旅をしていた。

あちらでは、都市部でも裸足で歩いている人が珍しくない。
長期間、沈没していた時期には、現地の人と同様、自分も靴を
履かずにずっと裸足で生活していた。

宿の中も、外も裸足のままでいられるので、生活に不自由は感じないし
モトクロスブーツしか持っていなかったときには、靴を買う事すら
思いつかなかった。

1994年4月、13ヶ月の海外ツーリングから、帰国。
成田空港に裸足で到着したのは、私一人だった。

ジョギング、ランニングから、ついにはフルマラソンやトレイルランニングに
まで参戦するようになった私が、5本指シューズに興味がないわけがない。

子供の頃、軽快に裸足でトラックを走っていた感覚。
ニュージーランドでの市街地での生活。
裸足で乗る電車、エスカレーターの冷たく固い感触。

いったい今、裸足で走ったらどんな感じがするのだろうか?

そしてようやく、ビブラムの5本指シューズ treksportを購入した。

きっかけは、都内で行われたその体験イベントだった。

履く前にイメージしていたものよりも、遥かに裸足の感覚に近かった。
足裏全体で地面を感じ取る事ができた。

一方、足にかかる負担は普段よりも大きい。
膝から下の筋肉は、すぐに痛くなってきてしまう。
でも、このシューズに慣れてくると、自然とフォアフット、ミッドフットの
着地走行になり、足の故障は少なくなる。

普段はいているランニングシューズの感覚で、走ってはいけない。
着地が乱暴すぎるのだ。
その衝撃がダイレクトに、足底に響くので、靭帯や関節を
痛めてしまう。

まずは、ウォーキング、そしてスローなジョギングで30分くらい。
その感覚をつかむ。
足裏を鋭敏にして、地面を感じ取る。
それだけでも何かが違ってくる。

ゆっくりと10〜20分ジョギングしてみる。
ペースは、物凄く遅くていい。

中足骨の真下に重心がくるようなイメージで、体の真下に
着地するようにする。

重心が前方に移動する事で、体が前に出て徐々にスピードが
のってくる。


Soku_kansetsu


中足骨からの着地で、足根骨部分(かかと、距骨・踵骨・舟状骨・楔状骨)と
足指骨部分(足先、基節骨・中節骨・末節骨)へ前後に加重が広がり、
靭帯で結ばれた関節が広がり、その衝撃を吸収する。

重心は、真下からスムーズに前方へ移動して抜けていく。

これが、フォアフット、ミッドフット走法。

細かい足の骨や靭帯、筋肉の動きを総動員することで、人は
スムーズで、衝撃の少ない、リズム感のよい走りが出来る。

しかし、スムーズにできないままに、スピードを上げていこうと
するので、どこかに衝撃が残ってしまい、足を痛めてしまう。

その衝撃を吸収して、スピードに代えてきたのが、現代のランニングシューズなのだ。

五本指シューズを履く事で、マラソンやトレイルランニングが速くなるかは
その人次第だろう。

走るという行為そのものをもっと深く考える、感じる、足全体を使ってみる。

一番の裸足ランニングの効果、効用はそこなのかもしれない。


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2012.09.24

東海道五十三次を走る 由比〜興津〜江尻

青春18切符が残り1日分となりました。

これは、有効期限が9月10日までなので、東海道五十三次ジョギングに
使わない訳にはいかないのだ。


2012年9月8日 土曜日 曇

暑いので、また天気が悪い日を狙って行きます。
午前4時半起床、5時の始発で最寄り駅を出発。

今回のスタート地点である由比駅には、コンビニやドトールなどの
お店がまったくありません。
なので、地元のセブンイレブンでおにぎりなどを買っていきます。

由比到着。
相変わらず寂しい駅です。
線路を眺めながらおにぎりを食べていても、人もいないし、
電車もきません。
のどかで良いです。
曇っていますが、青空が見えていて、もう気温は30℃近い!


小池邸 東海道五十三次

小池邸

由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋は、明治期に建てられたもので、
建物の外観は低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、
当時の寺尾地域の民家の面影をよく残している。
大戸の脇には、平瓦をならべ四隅を留め、目地に漆喰をつかった
ナマコ壁もみられる。

ま、私は中まで見なかったけどね。


由比宿東海道あかりの博物館

由比宿東海道あかりの博物館

入館料500円。
収蔵品1000点の中から常設300点のあかり全般の展示。
火打石での点灯などもある。
東部電機工業 片山光男氏のコレクション主体にあかりの体験もできる。


望嶽亭 藤屋

望嶽亭 藤屋

山岡鉄舟が逃げ込んだと伝わる茶屋。

明治元年、山岡鉄舟が駿府(静岡市)で西郷隆盛と面会する為、
単身駿府へ乗り込む際に、由比で官軍に見つかってしまい、
望嶽亭に逃げ込んだと伝えられている。

主人が機転をきかし室内の通路を逃がしたことは逸話となっており、
その際に忘れたフランス製のピストルが残されている。

ま、ここも中には入っていないけどね。

さてここで宿場は終わり、山の中への急な登りとなっていきます。

藤屋は、その薩埵峠東登り口に位置していることから、
別名を『坂口屋』とも呼ばれていた。


みかんロードをグングン上っていく、息が上がって、
ハアハア、心臓バクバク、
しかも天気が良くなってきて、気温は30℃近いかな。

富士山 薩埵峠 東海道五十三次


うっすらと曇っている遠くに、富士山がかろうじて見えた。
この旅初めての富士山全景だ。
コントラストをぐっと上げてみた。
デジカメではほとんど写ってないけどね。


薩埵峠 東海道五十三次

薩埵峠からは、山の中のトレイルが少しありました。
木が多く影になっているため、比較的涼しく走れた部分です。

興津宿跡 東海道五十三次

興津宿跡は、今はきれいな公園になっている。

細井の松原跡 東海道五十三次

細井の松原跡
江戸時代には、松が街道沿いに植えられており、旅人が休憩していた
のであろう。
戦時中にその松は航空機用燃料とするために、伐採されてしまい
今はその影もない。


升で量り売りされているちりめん 東海道五十三次

升で量り売りされているちりめんを見たのは
初めてです。
買わなかったけどね。

江尻宿 東海道五十三次

江尻宿 

江尻宿は巴川が造る砂州上にできた宿である。
宿の中心は稚児橋付近であったが、伝馬役の負担は主に下町、中町、魚町の3町で、
これを江尻町といった。
江尻町(現清水銀座)には、本陣、脇本陣があったが今はその標もない。


稚児橋 東海道五十三次

稚児橋

慶長16年(1611年)9月、家康公の命令でここに橋が架けられた。
渡り初めで、一番年老いた夫婦が先頭を歩いていたが、
巴川より童子が突然現れて橋の上を駿府の方角に歩き去ったという。

このためこの橋を稚児橋というようになった。
これは河童の類といわれている。

橋の上にあるのは、カッパの彫像。
3体が男児で1体が女児。


追分羊羹店 東海道五十三次

追分羊羹店

創業は約300年前の老舗で、竹皮に包まれた追分羊羹は
旧東海道では名物の一つとなっていた。
この場所が東海道と清水道の追分、即ち分岐点になっていたからだ。
ちょうどこの店の東側の角のところには追分の道標が立っていて、
そこから南へ真っすぐな「清水道」が伸びていた。

ここも写真を撮っただけで、見ても食べてもいない。
誰かお土産で買ってきてくれないかな?

草薙 一里塚跡 東海道五十三次

草薙 一里塚跡

ここは江戸日本橋から43番目の一里塚跡。
なぜか隣にでっかい狸がおります。


府中宿跡 上伝馬本陣東海道五十三次

府中宿跡 上伝馬本陣

駿河国の国府が置かれていたので、府中と呼ばれている。
駿河国から遠江国を通じ、最大規模の宿場町として賑わった。

静岡市に入りました。
すっかり昼です。暑いです。

そろそろ昼飯にしますかね。


続く。




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2012.09.18

第4回 多摩川源流トレイルラン 当日

毎朝4時起きだと豪語していたSさん。

目覚まし時計もなしに、本当に4時に起きた!
しかも、布団の上でストレッチやら、簡単な筋トレとかやり始めたもんだから
隣で寝ている私も起きてしまった。
でも布団からは出なかったけれども、、。

皆、目覚めが良い。
昨夜は早く寝た事もあり、全員6時前には起床。
着替えたり、ハイドレーションを準備したりして
朝食前なのに、ほぼスタート体制を整えている。

ハイドレーションを初めて使う人が多いこの部屋。

私が、水を入れたあとのエアー抜きとザックへの収納などを
皆さんに教えてあげる。

民宿らしい朝の定食をしっかりと頂き、バスでスタート会場の
小菅の湯へ移動。

受付を済ませて、ゼッケンをTシャツに貼付けると
もうやる事は無い。

わずかに出来ている石垣の日陰に座って、記念撮影などして
開会式を待つ。

最後に私は、人間からマスクマンJ-KINGへ戻り、スタート前の
儀式も完了。

テーピングとザムストのサポーターで、左足首はがっちりと
固めてきたけど、やはり痛い。
なんとかゆっくり走れる程度、それもジョギングより遅いくらいだ。

第4回 多摩川源流トレイルラン

10:00 スタート

最初の舗装路1.5kmくらいで、すぐに渋滞発生。
道は山の中の1本道になり、しばらくは上りが続く。


第4回 多摩川源流トレイルラン


はじめにスタートダッシュで、先行しないともう好順位は狙えない。
足が悪い私は、はじめからゆっくりモードで、渋滞が逆に
休みになっていい感じとさえ思えるほど調子が悪い。

森の中の小径で、清流が流れ、ワサビ田がある。
空気もひんやりしていて、とても気持ち良い緑の中だ。

上り切った所が鶴寝山1369m。

ここから下って舗装路に出た所が、松姫峠で第一関門
制限時間はスタートから、1時間40分。
多分、20分は余裕があったと思う。

今回は、関門までの距離が発表されていないので、
いきなり関門、そしてエイドと現れて、まったく計算ができない。
30kmとなっているけど、まだ7kmくらいしか走っていないぞ?

ふたたび山の中の道を走り、第2関門は鶴峠。
ここの制限時刻は、12:25。

金髪のカツラをかぶった地元のおばちゃんに、サロンパススプレーを
足首にプシュー!!ってやってもらう。

もう足首は限界に近い。

しかしやっぱり距離がおかしい。
もう半分以上いきましたよー!ってスタッフの人が言ってくれたけど
私のガーミンは11kmしか走っていませんよ、と言っている。

どうやら、30kmというのは、かなり適当な数値で、GPS計測だと
このコースは20kmくらいしかないものと判断。

非常に足の具合が悪く走れる状態ではないので、途中、
リタイヤ棄権も考えていたけど、残り数kmだったら行ける!

第3関門では10分くらいしか、余裕はなくなっていた。
ここでは、地元産であろうおいしいぶどうを頂いた。
疲れた体にフルーツは最高においしい!
そして、足首を少しだけアイシングしてもらう。
時間に余裕がないので、あまりゆっくりしていられない。

残り3.5kmと聞いたら、もう完走するしかないのだ。

舗装道路にでてすすんでいく。
ゆっくり走っていく、前方のランナーたちにはついていけず
遠く見えなくなっていく。


第4回 多摩川源流トレイルラン マスクマンJ-KING


このまま3km続くのか、と思ったら大間違い。

橋を渡り、痛い足には一番こたえる階段が連続し、まだまだだぞ
と言わんばかりのダートの上り坂が待っていた。


第4回 多摩川源流トレイルラン


もうすでに走れる状態ではなくなっていた。
トボトボと敗残兵の行進のようにしかすすめない。

小菅の湯の広場が見えてきた。
最後に応援の人達もいて、声をかけてくれるのだが、
もう足は死んでいる。


第4回 多摩川源流トレイルラン

左足が使えないから、ずっと右足だけで上りも下りも踏ん張っていたので
太ももの前後ともに筋肉が限界に近くなっていた。

前も後ろも、ぴくぴくと痙攣しはじめて、つりそうだった。


Tamagawa_finish


最後の最後、100mだけ力を振り絞り、走ってフィニッシュ!!

そのままマットがひいていある所に倒れ込んでしまう。

スタッフの人がすぐに来てくれて、状態を案じてくれる。
シューズもサポーターもソックスもテーピングも外して、水道でまずは洗浄。
その後、マットの上で足親指の消毒とテーピング、足首周りに氷を
ラップで巻き付けてアイシングしてくれた。
ここまであっという間の10分間くらいだったような気がする。

ちゃんとお礼も言う間もなく、スタッフの人は他のランナーのところへ
行ってしまった。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

こんなに手厚く介抱してくれたのは、初めてです。


第4回 多摩川源流トレイルラン


忙しく立ち回るスタッフさんに、

マッサージして下さい、ストレッチして下さいと申し出る女性ランナー

受付をして下さい、10分から15分待って下さい

というスタッフさんに、え、なんで受付するの、そんなに待つのー!

あなた十分元気です。
マットでマグロになっている私からみると、とても生きのいい
シャチかサメか。
それだけ元気があれば、あなた自分でストレッチやりなさいよ。
と思ってしまう。


また
マットで横になり、痛、イタタタ、、となっているとき
ONE TOKYOの人が、後からで良いのでお話を聞かせて下さい
とインタビューらしい要望を言ってきたけど、シカト。

今の状況、見てよ、痛いんだよ。
俺はマスクマンだけど、東京マラソンの客寄せパンダじゃねーよ。

今回は故障があったため、マスクマンの姿で多くの人に
ロックオンされてしまったけどね、

いつもは、ゴールした後、人目につかない場所へ行き
隠れてマスクをとり、人間の顏で着替えて、人知れず帰っていくのだけども
それができなかった。

氷を足首にくくりつけ、両手に脱いだマウンテンマゾヒストをもって
ツアーのスタッフの所へ行き、廣瀬旅館行きのシャトルバスに
乗り込む。

バスに乗る前に、さっとマスクはとった。

このツアー参加者は、レース後に廣瀬屋旅館でお風呂に入り
広間で休憩することができるのだ。

旅館に着くともうすでに多くの参加者が帰ってきていた。

自分は関門ギリだったので、だいぶ遅い方だ。

レース後すぐにお風呂に入れるっていいな。

宿の名物、源流弁当1,000円と東京マラソン財団からのノンアルコール
ビールを頂く。

弁当1,000円は高いけど、まあ他にちゃんとしたものは食べれないので
買ってみた。

源流弁当 多摩川源流トレイルラン

奥多摩B級グルメ準優勝の「よちよちヤマメの唐揚」がメインらしいが、
本当に小さなヤマメで、こんな小さな魚をわざわざ食べるなんて、、
大きくなったヤマメでいいじゃないって思うのは私だけ?


宿の前で記念撮影をして、バスに乗り込む。
廣瀬屋旅館のおばちゃんが、わざわざ道まで出てきてくれて
手を振ってくれたよ。

さよなら、おばちゃん。ヤマメうまかったよ。

行きと同じく、帰りもまた渋滞。
新宿に着いたのは、20:10頃。

完全に右足が終わってしまったので、今月はもう走らないことに決定。

まずはサポーターで固定したまま、安静にして回復を待ちます。

初めてのバスツアーでのトレイルランニング参戦。
同じ部屋になったメンバーは、一般的に速い部類の人はいなかったけど
皆、ランニングを楽しんで、色んな大会にエントリーしているので
大いに刺激になりました。

50、60になっても、まだまだ自分も進化できるかな
あらためてランニングは生涯現役、死ぬまで走ろうと思う

蒸し暑い新宿西口の夜なのでした。

バスツアー 多摩川源流トレイルラン

多摩川源流トレイルランのスタッフ、ボランティアの皆様
参加者の皆様、おりがとうございました。


おしまい。


第4回 多摩川源流トレイルラン 前夜

多摩川源流トレイルラン 前日


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2012.09.17

第4回 多摩川源流トレイルラン 前夜

西丹沢アドベンチャートレイル以来のトレイルランニングに参戦です。

今回は、東京マラソン財団公式クラブONE TOKYOメンバー限定の
バスツアーを利用しました。

9/15 13:30 新宿西口 集合。
10分前に到着。すでにランナーが並んでいるのですぐにそれとわかる。

バスは2台。
そんなに多くの人が参加するのかと驚く。

バスにのってから、東京マラソン財団の人や旅行会社の人から
挨拶とかがあった。

今回の参加者は、東京マラソンに出た事がある人が多いようだ。
またこれから出たいと思っている人も多い。

しかし、なんと70%くらいの人が、トレイルランニングが
今回初体験とのことだ。

参加経験者から、簡単なアドバイスなどで車内のマイクがまわる。
1回しかトレイルランニングのレースに出た事が無い私は
遠慮しておく。

予想通りの渋滞、ツアーの案内書では14:00出発
16:30頃 各宿到着後、チェックイン

となっているが、新宿からたいして高速の移動ができるわけでもない
奥多摩へ行くルート、しかも3連休である。
この時間スケジュールは、かなり甘いよなーと思っていたが

その通り、がっちり渋滞でいっこうにバスは進みません。

車内では、ハセツネのDVDが上映されました。

イメージトレーニングはこれで、バッチグー!です。

しかし、あんなトップランナーたちの激走をみてしまうと
現実では、自分が走れないことに萎えてしまうだろうな>初めての人達。

結局1時間遅れで小菅村に到着。
スタート&ゴール地点の小菅の湯を、バス内からチラ見して各宿にチェックイン。

民宿 廣瀬屋旅館。
1階すぐの部屋で、6人部屋だった。
メンバーは、40代から60代までのランナーで、唯一トレイルランニングの
経験者がなんと私一人という構成。

とりあえず、簡単に自己紹介などして、荷物をおいて広間で夕食。
やまめや山菜のてんぷらなど、郷土料理に舌鼓を打つ。
ビールは別料金で、630円だった。

けっこうビールを注文している人が多かったが、私はまだ左足首の腫れが
ひいていないため、お茶だけにする。

同室で、ビール呑まなかったのは、私と私より若い最年少(といっても40代)の
浦安から参加のAさんだけだった。

なんか、田舎の旅館に宴会旅行に来ているような気分になり、
すっかりレース参戦が頭から遠のいてしまう雰囲気。

まあ、ガチガチのランナーではなくって、楽しくていいかと、、。


19:30から小菅村役場2階で、トレイルランナーのための栄養講座が
無料で開催されるというので、夕食後、役場へ行ってみる。

トレイルランナーのための栄養講座


主催者見込み40名参加が、ふたを開けてみれば100名くらいの参加。
会場は準備していた、机と椅子が足りないくらいであった。

タンパク質は摂れば摂るだけ筋肉ができる?
食事を摂るタイミングは?
補食におすすめの食品、おすすめしない食品。
カーボローディングとは?
(従来の方法と、現在推奨されている方法の違い)
ハイポトニックドリンクとは?
(具体的に商品名で上げると、あれとか、あれです、ゲー***ン、アク**ロ)

なかなか興味深い内容でした。

その後、明日のコース紹介がスライドショーで行われました。

コース分岐の写真をみても、まあさっぱりわからん状態なわけですが
けっこうトレイルの割合が高く、容赦なく後半に上り坂が
設定されているとのことです。

宿に戻って、風呂に入って、部屋では、皆まったりモード。

私は毎朝4時起きで、朝トレーニングしているという
この部屋のエースは、60代のSさん。
フルマラソン3時間40分くらいで、一番速くて、トレーニングも半端ない。
しかも走り始めたのが60歳からだというから、驚きのランナーなのだ。

この部屋では、私とSさんのみがサブ4ランナーだった。

22時過ぎには、涼しい奥玉の風の中、部屋の電気は消されたのでした。

続く。

トレイルランニング装備

今回の装備というか準備。
ゲイターとか歯磨きセットとか、忘れてもうた。


新兵器はガーミン910XT

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2012.09.15

多摩川源流トレイルラン 前日

久しぶりのトレイルランニングのレースです。
西丹沢以来です。

そして、今回は初めてのバスツアーです。

小菅村、近いようで、遠い。
セローで行けば、公共交通機関を一切使わずに、現地まで
まっすぐなのですが、時間がかかります。

丹沢よりも遠いです。
丹沢は東名高速で、1時間も走ればかなり近くまで行けますが
小菅村は高速使う意味無し、、っか。

そんなロケーションでの開催なので、すぐに参戦を決意できず
考え中だった或る日。

ありゃりゃ、もうエントリーいっぱいですか。

しょうがないか、今回はあきらめるか。

しばらくするとバスツアーのみの参加枠が50名分くらいできたのです。
そこでエントリーできたというわけで、初めてのバスツアーが
決まりました。


往復のバス代と、前泊の宿泊代で、17,500円
エントリー代6,000円

私は、エントリーしていなかったので、合計金額23,500円だと
思ったのですが、電話で問合せてもはっきりした回答は得られず。

なんともいいかげんな、近畿日本ツーリスト。

そして、レース当日が2週間まえになっても、連絡なし、メールも無し
どうなっているの?
(大会本部からの封筒はきました)

レース1週間前、まだ、何もきません。
集合場所って新宿だったよな?
で、新宿のどこよ。

やっときたよ。案内の封筒が、火曜日にね。

遅いでしょ。
案内が、火曜日って。

で木曜日にお詫びのメールがきました。

いまさらお詫びされてもね。

近畿日本ツーリストのツアーは、もう使う事はないでしょう。
東京マラソン財団も、ここは2度と使わないで欲しいな。

レースは、30km。制限時間4時間半。
なんとか行けそうですが、今の私は、右膝はまだ治らず、
左足首捻挫、左足親指爪がパカパカともう満身創痍。

歩けるけど、走れるのはほんの少しだけ。
この状態では、ほとんど走る事無く、早歩きだけで関門ギリギリ突破。
ビリ完走。

これしか、ない

かな?

今回は、新しく買ったガーミンを使います。
これでバッテリー切れの心配無しです。



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2012.09.13

UTMF2013 参加資格が変わりました

UTMF「ウルトラトレイル・マウントフジ」2013年開催について
公式サイトにて、次のように発表されています。

コース、開催時期について

自然保護団体の方々からご意見やアドバイスをいただき、
動植物の繁殖時期である5月~6月を外して開催する予定です。
また、舗装路区間を減らしトレイル率を増やすよう関係省庁へ申請しています。
開催日・コースの発表は改めてお知らせいたします、しばらくお待ちください。


2013年度UTMFおよびSTYの参加資格について

UTMF
大会当日に18歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。
2010年1月1日以降に、100km以上のトレイルランニングレースを1回以上完走、
あるいは70km以上のトレイルランニングレースを2回以上完走していること。

STY
大会当日に18歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。
2010年1月1日以降に、70km以上のトレイルランニングレースを1回以上完走、
あるいは40km以上のトレイルランニングレースを2回以上完走していること。
両クラスとも、エントリーの際に、完走した大会の名称、開催年月日、
レースナンバー、タイムなどの申告 必要とします。

http://www.ultratrailmtfuji.com/news/2012/09/%E3%80%8C%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%B8%E3%80%8D2013%E5%B9%B4%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%AB/

ちなみに、2012年のUTMF参加資格は

100キロ以上のレース完走
もしくは
50キロ以上のレース二回完走。


となっていました。

で、私の参加資格は

ありません。


いつかは、UTMFと思っていても、経験が少ない。

もう1本、40km以上のトレイルランニングに完走すれば
STYの参加資格は満たします。

そう、もう1本。

行けるかな?

ウルトラトレイル・マウントフジ ~激走!富士山一周156キロ~ [ ジョン・カビラ ]

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2012.09.12

神々の山嶺

あなたは、なぜエベレストに登るのですか?

そこに、山があるから(Because it is there. )

と答えたのは、ジョージ・マロリーだ。


1924年6月、マロリーとアーヴィンは、北東稜から頂上を
目指したまま帰らぬ人となった。

二人は、果たしてエベレスト山頂に立ったのか?
山頂アタック途中で遭難死してしまったのか?
それとも、登頂に成功し下りで遭難したのか?

未だに、それは謎のままだ。

1999年、マロリーの遭難から75年。
エベレスト北東稜、標高8160m地点でその遺体が発見された。

遺体付近には、衣類、装備など貴重な遺品が確認されたが
エベレスト登頂の決定的な証拠なり得るモノはなかった。

持参していたとされるコダックのカメラもだ。

岸、岸よー。
おれは、あきらめないぞ。
おれは、死なないぞ。
もういいか、岸よー。

単独行にこだわった羽生が、事故で失ったザイルパートナー 岸。

彼は、岸の事をわすれたことはなかった。
エベレストでは、その亡霊をみた。


私は、作品を読みすすむ中、

羽生、羽生よー、
あきらめるわけがない。
おまえはあきらめない。
神が許した者しかその頂きには登れない。

羽生、羽生よー。

おまえは、きっとアタックに成功したのだろう?
なあ、羽生よー。

カメラマン深町と同様、羽生という人間そのものに興味が移っていた。
もうマロリーの謎も、コダックもカメラもどうでもよくなっていた。


夢枕獏が構想20年以上をかけて仕上げた山岳小説。
それが、神々の山嶺(かみがみのいただき)だ。


新田次郎の山岳小説を読んで、山に登るようになった
人は多いだろう。
山に登っている人なら、新田次郎作品が好きであろう。

しかし、もう新田次郎はいない。
彼の小説も、いつかは読み尽くしてしまうのだ。
残念。


日本には15席程ある人気作家の座に空きがひとつある。
山岳小説という席だ。
そこは新田次郎氏が鎮座していた。

今その座についたのが、夢枕獏だ。


なぜ、エベレストに登るのか?

そこに山があるからではない、ここに俺がいるからだ。

羽生は生きている。
ずっと山頂を狙っているに違いない。


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発見されたマロリーの遺体

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2012.09.09

東海道五十三次を走る 原〜吉原〜蒲原〜由比 4日目完走

いつも事前情報はほとんど頭に入れないで、
旧東海道五十三次を走っています。

始発電車に乗って、沼津を出発したのが7時30分くらい。

単調な、ストレート道路から、やっと街らしいところへやってきました。

そう、ここは吉原宿。


吉原本町にある鯛屋旅館 東海道五十三次


吉原本町にある鯛屋旅館 東海道五十三次

吉原本町にある鯛屋旅館
天和2年(1682)創業の老舗旅館。

でも見るだけ〜
泊まりません。

もっと、走るぜ!

吉原宿 西木戸跡 東海道五十三次


吉原宿 西木戸跡

ここで街は終わりです。

塔の松跡地 東海道五十三次

塔の松跡地
すっかり住宅地になって何も残っていませんが、往時は松の木の
下で休む旅人がいたのでしょうね。

鶴芝の碑 東海道五十三次


鶴芝の碑

この碑は、文政三年(1820)六月、東海道間の宿 本市場の
鶴の茶屋に建てられたもので、当時ここから雪の富士を眺めると、
中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたので、
この奇観に、京都の画家蘆洲が鶴をかき、これに江戸の学者
亀田鵬斎が詩文を添え、碑としたとさ。

富士も鶴も見えないけどね。
しかも現在は、**さんちの玄関だよ、ここ。


喫茶店 クロンボ


喫茶店 クロンボ やきそば


喫茶店 クロンボで昼休み。

名物?のやきそばを注文。
水の一気飲み、おかわり下さいは毎回定番の台詞。

鉄板にのったやきそばは、ボリュームたっぷり。
走る人には、不向きな食事かもしれないけど、しっかり食べないと
長距離は走れない。


ガーミン充電 東海道五十三次

サンヨーのエネループ電源から、ガーミン405の充電。
もう本当にバッテリーがもたなくなって、予備バッテリーもって
走るのが、重くてね〜。

喫茶店 クロンボ やきそば

テーブルいっぱいのメニュー。
これ、すべてパフェですよ、パフェ!

でも、当日はランチタイムで誰もパフェを食べていなかった。


ホウシャガメとゾウガメ

旧道をロストして、迷って戻る時にみつけたペットショップ。
ここには、外に柵があり,2匹の亀がいた。

ホウシャガメとゾウガメ。
ホウシャガメは、ワシントン条約附属書Iに掲載されており
商業目的の国際取引は禁止されています。
このお店のホウシャガメも売り物ではないようです。


道標と常夜灯 東海道五十三次

道標と常夜灯

神奈川までには、見られなかったのが常夜灯です。
昔はこれがずっと江戸日本橋まで、設置されていたのでしょうか。
しかし夜の移動は、まずなかったでしょうね。

富士川渡し船 東海道五十三次

富士川を渡ります。
当時の渡し船の跡です。

岩渕の一里塚跡 東海道五十三次

岩渕の一里塚跡
けっこう立派な石碑ですね。
江戸時代には、岩渕名産 粟ノ粉餅を売るお店が
並んでいたそうです。


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蒲原宿 一里塚跡 東海道五十三次

蒲原宿 一里塚跡
江戸日本橋から、数えて38番目の一里塚です。


<br />
蒲原夜の雪 東海道五十三次

ここは、広重が描いたとされる有名な「蒲原夜の雪」という
浮世絵の場所とされています。

しかし、この辺り、冬でも雪が降る地方ではありません。
広重は、実際には東海道五十三次をすべて旅した事は無く
旅から帰ってきた人達の話を聞いて、絵を描いていたと
言われています。

当時は、写真もなく新聞や旅行雑誌などもないことから、その絵自体に
疑問を呈する人は、江戸にはいなかったのでしょうね。


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<p>商家の面影を残す「塗り家造り」吉田家 東海道五十三次

商家の面影を残す「塗り家造り」吉田家
昔は和菓子屋だった家です。
土間が広くてお店に適した造りになっています。

<br />
旅籠 和泉屋 東海道五十三次

旅籠 和泉屋


<br />
志田家住宅主屋 東海道五十三次

志田家住宅主屋
旧東海道に北面し,短冊状の敷地に建つ町屋建築。
志田家は,醸造業を営み地主を兼ねた旧家。
木造2階建,切妻造,平入で,西側の平屋部は昭和初期の増築。
土間の戸口に大戸の痕跡,道路に面した開口部に蔀戸を残し,
蒲原宿の往時の佇まいを今に伝えている。

志田家は代々味噌や醤油などの醸造を営む商家で「ヤマロク」の屋号を掲げていた。
現在の建物は、安政元年(1854)の安政大地震直後に再建されたもので、
木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、正面1階には下屋庇、外壁は下見板張縦押縁止、
現在も蔀戸を備えている。
志田家住宅は江戸時代後期に建てられた町屋建築の遺構として貴重な存在で
平成13年に国登録有形文化財に指定されている。

<br />
由比本陣公園 東海道五十三次


<br />
由比本陣公園 東海道五十三次

東海道53宿の中の16番目の宿場町として栄え、江戸時代、参勤交代で
訪れる大名の宿として設けられた本陣の跡が、この『由比本陣公園』です。

建物の奥には、東海道広重美術館があります。
時間が無いし、有料なので、入りません。

トイレを使いました。
あとは、束の間の雨宿りって感じです。

ミニチュアの町並みなんかもありますが、歴史に詳しくない私には
ふーん、で終わり、座ってベンチをベチャベチャに濡らして
わずか数分の休憩で、また雨の中走り出します。

<br />
由比 東海道五十三次


そんでもって由比駅到着。
ガーン!コンビニもルービーもないじゃん。

本当に寂しい田舎の駅って感じだな。

(私は下調べ無しでいつも走っています。到着する宿場も駅もその日の
 体調と時間で決まります。準備不足と言われればそれまですが、、、)


下り電車はなんと1両?いや2両?
とぼとぼと駅構内に入り、いつもの惨めなトイレ着替え。

東海道五十三次の富士山絶景ポイントを今回は走った訳だが、
走り優先で観光などは、ほとんど考えていないので、夏の時期は
天気の悪い日と決めている。
とはいえ、あとからガイド本でみると、ああ、ここで富士山絶景なのねー
とただただ感心しかりなのであった。

ガーミン走行データ

2012年8月18日 土曜日 曇りのち雨

距離: 38.40 km
タイム: 5:54:17
平均ペース: 9:14 min/km
高度上昇値: 155 m
カロリー: 2,625 C

費用
コンビニ:780円
くろんぼ やきそば コーラ:840円
ドリンク2本自販機:250円

電車 私鉄:300円
JRは青春18切符:2300円




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2012.09.06

秩父 ゲリラ豪雨のジョギング

毎年秋は、草野球チーム インシデンツの合宿がある。
昨年は、豪華に札幌ドーム貸切で紅白戦を行った。

さて今年の合宿は、8/31から9/2に秩父に行くことになった。

マラソンを始めてからは、野球はやらないと宣言したので、練習にも
試合にも出ていない。
行ければ、試合の応援だけだ。


というわけで、今年は、参加ではなく、ちょっとだけ顏を出すだけにした。

一人だけの合流。
電車で西武秩父まで行く。

池袋から西武線にのって、終点まで行ったのは、初めてだ。

飯能からは、駅で上り電車を待って、すすんでいく。
線路が1本しかないので、通過待ちできるのが駅になっているからだ。
しかし、上り電車が、途中の大雨で遅れている為、こちらも
遅くなっている。

いつものように電車内では読書していたので、ふと車窓をみると
いつの間にか、のどかな山の風景に変わっていたことに
まったく気づかなかった。

ここは秩父の山の入り口なのだ。

登山スタイルの乗客もちらほら。
でも天気はどうかな?


西武秩父駅に到着。
けっこう賑やかだ。

雲は暗くて、いつ雨になってもおかしくない感じがするが
いまのところ、青空もみえており、雨は降っていない。

山の空気は、都内のそれとは比べ物にならないくらい
やさしくて、涼しげだ。

朝、自宅周辺を6km、ビブラムの5本指シューズで走ってきたので
今回は、アディゼロmana6でいく。

やはりこのシューズだとスピードが出るな。

フルマラソン、サブ4くらいの快適なペースで走り始めた。
駅からしばらく離れると、緑の山が近くなり、ゆるいアップダウン。

少しずつ雨が、大粒になっていくようだ。
そして、ゲリラ豪雨!!

今更、ゴアテックスのカッパ上着を着る。
すでにびしょびしょに濡れている。

道路脇にも、雨を避ける場所もなく、バス停の木の下に避難。
雨は、止む気配がない。

秩父は、砂利やコンクリートが有名。
豪快に雨の中を失踪するダンプトラック。

道の脇をとぼとぼ走る私に
容赦なく、水を叩き付ける。

もうカッパも、何も意味が無い、水泳か?

この天気の中、野球の試合は行われているのだろうか。
宿まで5kmくらいまで来た所で、ぽんぽんさんにメールする。
この辺りでウィコムもイーモバイルも、アンテナがたった。

あと1イニングで終わる。1時間半くらいかな。先に宿に行って下さい。

とのこと。

グランドまではあと10km以上。
行けない距離ではないが、雨の中、1時間以上走っていって
すぐに皆と合流し宿へもどるというのも、、、

少し雨が弱くなった所で、スポーツショップの軒先で休憩。
ipod touch で地図を確認すると宿までは3km。

合宿先、梁山泊に到着。

左手のGPSガーミン405は、雨ですっかりおかしくなっている。
いつのまにかGPSもオフになってしまい、距離も不明。
雨では、いつもピロピロ鳴って、使えなくなってしまう。
トライアスロン用に買い替えようかな。


宿の従業員総出で、夕食の準備に大忙し。
誰も相手にしてくれない。


濡れたまま、インシデンツ男子部屋に案内される。
さ、寒い。

誰もいない大部屋にエアコンが、25℃設定で冷房が全開になっている。
濡れた体の温度がさらに下がる。
震える程の寒さを感じ、エアコン1台スイッチオフ。

露天風呂。

一人独占。

部屋で読書。


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