東海道五十三次を走る 府中〜丸子
東海道五十三次を西へ走って走って、府中までやってきました。
静岡駅に来ました。
都会ですね〜。
でっかいビルとか、ケンタッキーとかあって、完全に場違いな
ジョギング親父が通りますよ〜!
ここは徳川家康公の駿府城があったところでしょうか?
歴史に疎い私は知りません。
静岡の人達、皆、家康公の御遺訓を素通りですか?
それを見入っている私が変人扱いで見られています。
なんだかね〜。
コンビニで昼飯です。
今日はずっと立ったままで、頑張ります。
岩本さんのウルトラマラソンの本にトレーニングとして
休憩でも、座ったり、寝転がったりしないというのが
あったのでね。
買ったものは、歩きながら食べていきます。
コーラ500ml缶は、100円なのでコストパフォーマンスが良いですね。
静岡に入ってからは、100円自販機がないので、この
コーラ500ml缶ばかり、がぶ飲みなのです。
まるごと凍らせたアクエリアスも見かけないため、
レモン水か、カスピスウォーターでした。
カスピスは甘過ぎて、べとついてよろしくないですね。
府中一里塚跡
ここは、江戸日本橋から45番目の一里塚。
江戸時代初期に造られたので、新通ではなく本通にある。
旧東海道は新通なので、写真を撮る為に、一本西の本通を
少し走った。
なんか、ややこしいな。
おおっ、安倍川餅って、本当に安倍川手前にあるんだね。
歴史の知識無し、予習も無しで毎回走っているので、いきなり
その看板が現れてびっくり、なのです。
どの店が本当の元祖なのでしょう。
ゆっくり安倍川餅を食べている時間はありません。
さっさと橋を渡ります。
安倍川義夫の碑
元文3年(1738)のことである。
紀州の漁夫が安倍川を渡ろうとして、仲間とともに溜めた大金百五十両を落としてしまった。
この大金を拾ったのが川越人夫の喜兵衛で、旅人を追いかけて、
宇津ノ谷峠で大金を渡すことができた。
喜んだ紀州の人はお礼を渡そうとしたが喜兵衛は
「当たり前のこと」として受け取らず、困った旅人は駿府町奉行所に
礼金を届け渡してほしい頼んだ。
それでも受け取らないので奉行は礼金は返し、代わりに喜兵衛に
褒美をあたえたという。
白隠禅師が書物で紹介し有名になったが、昭和4年
この事跡を忘れまいと広く呼びかけたところ、和歌山県の学童をはじめ
全国から20万人以上の人々が義捐金を寄せ
「安倍川義夫の碑」が建立された。
その記念講演会で徳富蘇峰は「有名な英雄より無名の英雄になろう」と訴え、
満場をわかせたという。
丸子宿
江戸日本橋から46里、20番目の宿です。
ここには、古い家が残されており、今も往時の宿場の雰囲気が
ちょっとだけあります。
丸子宿脇本陣跡。
昔はとうふや?
昔はかさや?
丸子宿、京側にあるお店。
丸子は日本紅茶発祥の地
明治維新、静岡に転封された徳川慶喜に従った幕臣多田元吉が
原野を開いて丸子の地に茶園を開墾した。
その後明治政府の役人となった元吉は、中国・インド等を歴訪して紅茶に
限らず製茶全般の技術を日本に広めた。
その元吉がここ丸子で、紅茶製造を始めたのが、日本の紅茶の発祥。
きれいな水路が引いてあります。
柄杓がところどころに設置してあり、その水を組み上げて
生活用水として利用されているのでしょうか。
さてさて、この辺りから山に入ってきました。
ウィルコムとイーモバイルがともに、圏外になってしまい
地図の確認が正確にできなくなってしまいました。
幹線道路沿いのコンビニで、食料調達。
ここには名残の松が、一本だけ残っています。
鳴く蝉に むかしを偲ぶ 松並木
でっかくて新しい道路は、どうやら新東名高速道路みたいです。
まだグーグルマップで詳細が、はっきりしていないので
旧東海道五十三次のルート確認が難しい箇所になっています。
高速を過ぎてから、道は山の中へと上っていきます。
綺麗な石畳の道ではじまる
東海道の難所 宇津の谷峠へと進んでいくのでした。
続く。
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