ジョギング 坂道を走る 大田区雪谷地区
真夏日が続く2013年夏休み。
こう暑くては、ランニングもトレーニングどころか
下手すりゃ熱中症で倒れてしまう。
朝からスタートしたものの、陽が出てくると一気に
30℃近くなってしまう。
というわけで、短時間と短い距離でのトレーニングとして
東京大田区の坂道を幾つ走れるか、ちょっとだけチャレンジしてみた。
に次ぐ、走破シリーズ第3弾 坂道走破!!
まずは中原街道を下って、ちと脇へ入ると旧中原街道となる。
ここが江戸時代に使われていた街道。
桜坂 1
石垣にはさまれた切通しの坂道。
これが桜坂で、坂名は坂道の両側に大正時代に植えられた桜にちなむもの。
この坂は旧中原街道の切通しで、昔は「沼部の大坂」といい、
勾配がきつく荷車などの通行は大変であったという。
また、かつてこのあたりの村落(沼部の村落)は荷車、
旅商人の往来でにぎわい、腰掛け茶屋などが坂道の両側にあった。
坂下には、かつて六郷用水が流れていたが、下水道の普及につれ、
この用水も埋められてしまった。
しかし、少しでも昔の姿を残そうと、その一部を自然の湧水を使って
「六郷用水の跡」とし、現在は保存されている。
中原街道を上り、東急池上線石川台駅方面へすすむ。
宮前坂 2
東雪谷二丁目25番と27番の間を北東へ上る坂道。
雪谷八幡神社の前の坂であるため、宮前坂と呼ばれるようになった。
なお、坂下の呑川にかかる橋は、宮前橋と名づけられている。
雪見坂 3
東雪谷三丁目14番と16番の間の坂道。
かつてこの坂から富士山の頂の雪がよく見えたため、
この名で呼ばれるようになった。
昭和6年から9年に行われた耕地整理により、道路が整備された後に
付けられた坂名。
権現坂 4
東雪谷三丁目14番と19番の間の坂道。
この付近に権現社があり、その地をもとは権現山と呼んでいた。
坂道は、大正末期に行われた耕地整理によってできたものだが、
地名に由来して名づけられたもの。
花抜坂 5 はなぬきざか
東雪谷五丁目12番と13番の間を池雪(ちせつ)小学校脇に
向けて上る坂道が花抜坂。
坂名は、日蓮が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に
野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので以来、花抜(花の木)
の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来している。
伝説のとおり、この坂は古い道で、中原街道から別れて
矢口の渡しまで通じる道であった。
昔は現在のようなまっすぐな坂道ではなく、曲った坂道で、
両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹やぶであった。
坂を降りて、鉄道をくぐって次の坂道へ
八幡坂 6
仲池上一丁目14番と15番の間を北へ上る坂道。
子安八幡神社に沿っているため、この名で呼ばれるようになったもの。
坂下の水路には子安橋があり、ともに神社名に由来する。
六郎坂 7
仲池上一丁目10番と13番の間を北へ上る坂道。
坂名は、江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門
(えびさわろくろうざえもん)の屋敷が坂に沿ってあったことに由来。
仲池上、上池台付近は耕地整理によりできた坂道が多いだが、
これは古くからある坂道。
また、坂下の水路にかかる橋を六郎橋という。
大尽坂 8 だいじんざか
仲池上二丁目2番と5番の間を東へ上がるかなりの急坂。
昭和初期に行われた耕地整理によってできた坂道であるといわれている。
坂名は、その昔大尽(財産をたくさん持っている人のこと)が
このあたりに住んでいたということで名づけられたと伝えられている。
この大尽が誰であったかについては、諸説があり明らかではない。
相生坂 9
仲池上一丁目2番と上池台五丁目29番の間に新幹線をはさんで
全く同じような坂道が並んでいる。
このことから、この坂を相生坂と呼んでいる。
昭和の初期、耕地整理によりできた坂道。
橋の下を新幹線が走る姿を見る事が出来る。
大久保坂 10
夫婦坂へ抜けるバス通りから、上池台五丁目17番と18番の間を東へ上る坂道。
この付近に昔大久保氏の屋敷があったことから名づけられたといわれている。
この坂道は、昭和初期に行われた耕地整理によりできた坂道。
猿坂 11
上池台五丁目31番の中谷駐在所前よりカーブしながら上る坂道。
『新編武蔵風土記稿』の林昌寺(りんしょうじ)の項に
「境内墓所の側に坂あり、猿坂と呼ぶ、昔山林茂りて猿多く住せし故是名あり。」
と記されている。
昔、子安八幡神社、林昌寺(仲池上一丁目14番)からこの猿坂にかけての
台地は森林が続き、猿が多く生息していたともいわれ、
坂名はそれにちなむものだろう。
また、この坂を通る道は、池上本門寺前から仲池上の根方(ねがた)
を通り、猿坂を通って台地に上り、馬込の夫婦坂を経て荏原町に
達する古い道。
稲荷坂 12
夫婦坂へ抜けるバス通りから、上池台五丁目6番と16番の間を東へ上る坂道。
坂上の上池台五丁目14番の南側角地に「玉倉稲荷」という
稲荷社がまつってあるため、稲荷坂と名づけられた。
この坂道は、昭和初期に行われた耕地整理によりできたといわれている。
鸛の巣坂 13 こうのすざか
上池台四丁目37番と42番の間にある坂道。
かつて、鸛(コウノトリ)の巣があったということから、
この付近は鸛の巣山と呼ばれていたといわれ、坂名はそれにちなむ。
坂下に残っていた水路は、「鸛の巣流れ」と呼ばれ、かつては用水路として、
近年は排水路として使用されたが、下水道の敷設により現在は埋められている。
庄屋坂 14
上池台四丁目20番と23番の間から、北西へと向かうまっすぐな坂道。
坂の付近に、昔からの庄屋の家があったと伝えられることから、
この名がついたといわれている。
庄屋が誰であったのかは明らかではない。
貝塚坂 15
上池台四丁目と五丁目の境を上る、通称「学研通り」の坂道。
この貝塚坂周辺は、貝塚を伴う集落遺跡のあったところで、
坂名もそれにちなむもの。
『大森区史』には、「馬込の根方(ねがた)に貝塚といふのがある。
石器時代の器物や矢の根などがよく掘り出されたといっている。
今もなほ好事家の尋ねて来るものが少なくない」と書かれている。
大田区内の鵜の木、池上、山王とつらなる台地には縄文時代から
古墳時代にかけての集落遺跡が多く、貝塚坂周辺にあったと
いわれる遺跡もその一つである。
蝉坂 16
上池台三丁目7番と10番の間にある坂道。
耕地整理以前からの古い道。
坂名は、この付近一帯が池上村蝉山(せみやま)と呼ばれていた
ことから名づけられたものと思われる。
上池台三丁目41番と42番の間の、「洗足流れ」という水路に
かかる橋は蝉山橋と名づけられているが、これも
蝉山の地名によるものだろう。
洗足坂 17
中原なかはら街道の、大森第六中学校前あたりのゆるやかな坂道を
洗足坂(せんぞくざか)という。
坂名は、字のごとく洗足池にちなむもの。
この中原街道は、江戸から平塚の中原に通じる街道で、
江戸時代には東海道の裏街道としてさかんに利用された。
これは明治期以降も同じで、東京への物資輸送路として
大きな役割を果たしていた。
ところで、大正6年から12年にかけて中原街道が
道路改修されるまでの洗足坂は、現在より短く急な坂道だった。
道路改修で坂はゆるやかとなり、その後さらに拡幅され、現在の道路となった。
中原街道へ出てから自宅まで数km。
本日の走行(歩きが多いけど)データ。
坂道:17箇所走破
距離: 11.58 km
タイム:1:43:58
平均ペース:8:59 min/km
高度上昇値:227 m
カロリー: 656 C
さて次はどの地域の坂道を攻めようか。
本書は約8年前から「おとなりさん」に連載したものを一冊の写真集にまとめた。
昔はいろいろなところで写真を借りていたが、30年前に
私が撮った写真がなつかしい写真になった。
この本を街の記録としても眺めていただければ望外の喜びである。
まちに幸あれ、人に幸あれ。 平成24年11月25日 西村 敏康
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