ARSサーキットの営業日が最終日をむかえた。
関東屈指のミニッツサーキットである東京浅草橋のARSサーキットの営業日が最終日をむかえた。
暫く足が遠のいていたので、最終日だけは長目に遊びたいと思って昼過ぎに、行ってみる。
ビルは塗装工事中で、足場が組んであり、全体を塗装カバーのビニールで覆われている。
先の震災の影響で、屋上設置の水タンクが壊れたため、トイレが使えない。
見た目、ビルが無くなるような格好なので、寂しさが増す。
到着時には、お客は3名か4名くらいだったが、夕方には立ち位置がないくらいの満員御礼だった。
ハイマウント、F1、ナロー、Cカー、そして私はまだ空いている時間に独りドリフトを楽しむ。
高速でのCカーチキチキ!
私だけが、ナローのナスカーで走っている。
Cカーを持ってこなかった事を後悔したが、結局そのセッティングを決める事が出来なかったので、まあいいか。
全盛期のARSサーキットを彷彿とさせるミニッツの高速バトルは、時間を忘れるほど楽しかった。
初めてのラジコンがミニッツAWDだった。
初めてのラジコンサーキットが、ARSサーキットだった。
初めて行ったARSサーキットで見たミニッツは、とんでもないスピードで周回していた。
とてもその中へ入っていく勇気は無かった。
同じ時期にARSサーキットに通うようになった仲間は、週末レースに出るようになった。
週末のレースは開催時間が遅いため、参加できなかったが
仲間が耐久レースのメンバーに誘ってくれた。
ARSサーキットで年数回開催される耐久レースは、なんと8時間ぶっ通しで
走り続けるという過酷なものだ。
ミニッツも人も、やつれてしまう。
昼飯も食わずに、ドライバーとピットと充電とローテーションで
働き(?)続ける丸1日のミニッツ耐久レースは、非常に貴重な体験だった。
出張がてら、北海道から沖縄まで、行く先々でミニッツサーキットを探しては
走ってきた私だが、このARSサーキットほど気持ちよく、かつ楽しく走行できる
ミニッツサーキットは、なかった。
幅の広いコースのカーペット路面。
2台が並んで、コーナーに突っ込んでいったり、
ストレートエンドでのブレーキ勝負。
1台分イン側をあけててしまえば、すぐに抜かれてしまう。
ぴったりとインを空けないように、がんばってエキスパートから逃げる。
ミニッツレーサーというラジコンが、たんなるトイラジではなくて
本格的なラジコンカーであることを知ることができたのは
ARSサーキットへ行ったからだろう。
ヒゲ店長はじめ、多くの人に、色んなことを教えて貰い
まともにサーキット走行がやっとできるようになった。
そんな思い出いっぱいのARSサーキットも、本日が最終営業日となってしまった。
ミニッツの歴史の中に、永遠に語り継がれるであろうサーキット
ARSサーキット。
ありがとうARSサーキット、そして仲間達。
またどこかで一緒に走りましょう。
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