賑やかな
A9 FUMOTO 麓エイド 45.8km 818m
を出発。
関門時刻前15分くらいだった。
ほとんど余裕はないので、腰を下ろしてゆっくり
休む事などできず、飲んだり食べたりしてだけだ。
麓からは、また更に上り竜ヶ岳1485mを越える。
真っ暗闇での峠越え。
LEDヘッドライトの灯りだけなので、周りの状況や
山の連なりなどは、さっぱりわからない。
下りで尻餅をつきながら、まるで滑り台を下るように
して降りていくへっぴり腰女性ランナーに
追いついては、イライラする。
よくそんなレベルでこのレースに参加してきたもんだ。
下りだからって、腰を引いていては、逆に転びやすくなるだけ
でしょうが!
できるだけ、足を斜面に直角に近い角度で着地させ一気に
2、3歩下り降りる。
そして平坦で比較的斜度が緩くなったところで
ブレーキ。
「shit!」
か〜、ぺっ!
つばをはいたり、シットと叫んでも
全然遅いじゃないか。
その尻餅滑り台のろのろ走行を何とかしてくれよ>香港女性ランナー。
どうにか香港ランナーグループをやり過ごし、前に出れたが
次は後ろからピッタリとくっ付いてくる女性ランナー。
こちらが急斜面で、木に掴まって前のランナーがすすむのを
待っているのに、すぐに後ろから降りてくる。
だ〜か〜ら〜、今は私が木につかまって、前のランナーが
進むのを待っているでしょ。
あなたが止まるために必要な木はないでしょ。
ほら私にぶつかって止まった。
私は、あなたのブレーキになるためにここにいるのか?
本当に、口に出して言ってやろうかと思ったけど
この先まだ長いし、どこかで(明るい場所で)一緒になると
私ははっきりと覚えられているので、女性ランナーの
仲間とかから一斉に逆切れ攻撃など受けるのを
恐れて、ぐっと我慢の下りなのだった。
ただでさえ足がもうもたない状態なのに、これら
下りダメダメ女性ランナーにストレスを感じ
さらに疲れてしまった。
A10 MOTOSUKO 本栖湖 61.1km 907m
本栖湖周辺には、車がたくさんあった。
交通整理の人も立っている。
沢山の応援とサポート、ボランティアの人達がいた。
ここでも、またカメラをもった人から取材。
待ち伏せかよ。
エイド内は異様な熱気に包まれていた。
UTMFのランナーも入り乱れ、ドリンクや補給食を
もらうにも一苦労。
椅子には座っている人がいっぱいで、もう空きはない。
ランナー以外の人もいるみたいで、迷惑だな。
すっかり体が冷えきっている。
温かいモノを食べたいが、そんなモノはない。
インスタントのコンソメスープを2杯頂く。
O田さんに会う。
こんな寒い中、夜中まで応援してくれているんだ。
「だ、大丈夫ですか?」
満身創痍でとてもこの先夜のトレイルを走っていけるような
状態ではないことをすぐに見てとった様子だ。
恐らく誰がみても、このときの私は完走できず
リタイヤ申告すると思ったに違いない。
もう足に残りはないけど、歩けるから
いけるとこまで
行きますよ
時間に余裕はない。
ここも制限時間残り15分くらいで、トボトボと出て行った。
これから先は、もう大きな峠はない。
しかしほとんど使い切った足には、緩い上りもこたえる。
一歩一歩、前に出るだけだ。
空が明るくなってきた。
一晩中、山の中を動いていたので、今回初めて
2個目のLEDヘッドライトを使った。
ヘッドライトを取り外し、階段状の上りをゆっくりと
一歩ずつ登っていく。
途中で止まってしまうと、そのまま動けなくなって
しまいそうだったので、止まらずに頑張って進む。
気がつくと私が先頭で後に10名くらいランナーが続いていた。
4月27日 日の出 5:00
パノラマ台到着。1328m。
朝日に輝く富士山。
雲海の上に広がる山々。
深く蒼い本栖湖。
荘厳たる光景にランナーも束の間の休憩をとる。
青木ヶ原樹海を抜けロード区間になった。
ここで途中何度も一緒になっているニュージーランド人の
Brendonさんが追いついてきた。
2人で黙々とロード区間を歩く。
私ももうダメだ、動けない、という状態だったが
彼と話をしながらだと楽に感じた。
私は、過去に3度ニュージーランドへ行っている。
その期間は延べ13ヶ月にもなる。
英語での会話なんて、いったい何年ぶりだろうか?
16年ぶりくらいか。
ニュージーランドについては、こちらのブログを
参照下さい。
↓
OUTBACK AUSTRALIA アウトバック・オーストラリア
http://outback.travel.coocan.jp/?cat=28
今回タイツはいつものCW-Xエボリューションではなく、
緩い自転車用防寒タイツを用意してきた。
コンプレッションタイツのような締め付けが無く
短パンの上からでも、そのまま履ける。
ニュージーランドサイクリングへ行った時に現地で購入した
tima(チーマ)というブランドだ。
同時に買ったヘルメットはアバンティー。
これもニュージーランド製品。
チーマのタイツはブレンドンさんも使っているようで、
長持ちしてとても良いと言っていた。
私のチーマタイツは1998年に購入したものだ。
丈夫で長持ち、日本ではまだ知られていないニュージーランドの
素晴らしいアウトドア製品(自転車グッズ)の一つである。
ちなみに今使っているツーリングテントもニュージーランド製だ。
(日本ではチーマのタイツは売ってません)
ブレンドンさんは、今は名古屋に住んでいて日本からニュージーランドへ
中古車輸出の仕事をしているという。
STYは、3年連続の参戦で、ハセツネも完走している。
中高年が参加できるトレイルランニングは良いスポーツだ。
ハセツネは水とスポーツドリンクしか補給ができない
それが素晴らしいのだ、という。
タフなニュージーランド人ランナーだ。
仕事が忙しくて、なかなかトレーニングができないと
言っていたが、しっかりとした足取りは私よりも
丈夫で速く走れる人だ。
日本人は子供を作らないこと、将来年金がもらえないような
状態の事などを話すと
「やばいよやばいよ、日本やばいよ〜」
を連発していた。
A11 NARUSAWA 鳴沢 80.1km 1024m
傷みの止まらない膝の足を引きずりながら、まだかまだかと
歩き続けようやく到着した最終エイド。
駐車場スペースには、石油ストーブが数台設置してあった。
今はもう寒くないが、夜間はこれだけが暖をとる術だったのだろう。
そして地面に直に引かれている毛布に包まり眠っているランナーたちがいる!
おそらくは、ここまで不眠不休で走破してきたUTMFランナーたちであろう。
この最終エイドでラストギリギリまで寝かせてもらい。
起こされたランナーは、復活して走り出していった。
残り11km。
もうゴールは近い。
しかし足はもう完全に終わっている。
ここで私もギリギリまで休んで、しっかりと脚のストレッチ
マッサージなどを自ら行い。
少しだけなら走れるくらいに復活した。
この先のコースを知っているブレンドンさんに聞くと、
もうひとつ山があり、ダートが続く、そして山をおりてから
ロードで河口湖へと向かうようだ。
嗚呼、まだ一山あるのか〜。
この時はもう上りよりも下りでの傷みが耐えられないくらい
の傷みとなっていた。
上りまでは、ずっとブレンドンさんと一緒に歩いていたのだが
下りになってから、私は一歩着地する度に膝周辺に激痛が走り、
とても一緒には行けない状態になった。
ブレンドンさんも先に進んでいき、
ついにはその姿を見る事はなかった。
私がギリギリまで鳴沢エイドで休んだ時間に
つきあってもらったのだ。
もうこれ以上つき合ってもらえるわけがない。
とても優しい人だ。
ありがとうブレンドンさん。
またどこかのトレイルランニングで会おう。
Thank you Mr.Brendon.
I wish see you again.
下りでは、ガクガクの膝と足全体の傷みは
これまでにない非常に痛烈なものだった。
下り切ってロードに出た時には、ホッとしたものだが、
もうすっかり足は感覚がないくらいになっていて
走ることはできなかった。
もう時間がない。
12時までに到着しないと完走にはならない。
ガーミンのバッテリーが切れたので、残りの距離がわからない。
走っていくランナーたちに次々と抜かれていく。
もう私には彼らを追いかける力は微塵も残っていない。
河口湖八木崎公園はすぐそこだ。
私を見つけて一緒に走り出してくれた人がいる。
こどもの国で会ったS津さん、そして本栖湖で会ったO田さんだ。
最後の力を振り絞って、
走れた。
奇跡だ。
全く力が残っていない着地の度に激痛がはしる脚なのに
走れている。
一緒に走ってくれている仲間がいる。
こんなギリギリで無様なマスクマンなのに
精一杯の大声で声援してくれる人がいる。
俺は、
俺は、1人じゃないんだ。
仲間が後ろから押してくれているんだ。
走っているんだ。
一睡もせず、座る事もせず、90km以上走ってきたんだ。
頑張れ!
お疲れ様〜
間に合ったね
ハイタッチしながらフィニッシュ!
両手を広げて、自然に感謝、仲間に感謝。
参加した全てのランナー、ボランティアスタッフに感謝。
福田六花さんとハグ。
膝がガクっときて、そのまま倒れ込む。
全て使い切った感覚で、すぐに立ち上がることが出来ない。
精も根も尽き果てた
とはこの状態のことを言うんだな。
フィニッシャーズベストを貰った。
制限時間いっぱい、残り5分だけど完走できた。
仲間が待っていてくれた。
誇らしげにSTYフィニッシャーズベストを持って
記念撮影。
最後まで諦めずに歩き続けて良かった。
待っていてくれる人がいたなんて思いもよらなかった。
解散したあと、着替えて1人になった。
マスクを脱いで、天を仰ぐ。
嗚呼、今、俺は感動している。
本当に良かった。
ここまで自力で来れたんだ。
こんな無様な中年親父にも、仲間がいたんだ。
1人ではないんだな。
ありがとうSTY。
そして、家族、仲間たち
本当にありがとう。
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