カテゴリー「530:東海道五十三次」の記事

2012.12.23

東海道五十三次を走る 丸子〜岡部〜藤枝 5日目完走

さてっと、前回の東海道五十三次を走るから、随分と間が
間があいてしまいましたが、写真が多過ぎて整理出来ずに
記事のアップも遅れていました。

忘れないうちに、書いておきゃなきゃいかんですね。

さてさて、丸子と書いて、「マリコ」と呼びます。
家の近所だと多摩川に架かっている橋は、丸子橋「マルコバシ」
なんで、ついついtマルコと言ってしまいますが、一人で走っていて
誰とも口をきかないので、まったく問題無しでした。

丸子橋を渡ってから、宇津の谷トンネル入り口にさしかかり、
ここから岡部宿へは、宇津の谷峠越えと蔦の細道を辿るルートがあります。

東海道では峠越えのルートを進みます。

相変わらずイーモバイルもウィルコムも圏外なので、ルートは
細かく認識出来ず、表示板や案内図で見当をつけていきます。

東海道五十三次 宇津の峠

駿河なる宇津の山辺のうつつにも
夢にも人に会わぬなりけり

この短歌のとおり、まったく人には会わずに峠とすすんでいった。


東海道五十三次 宇津の峠

峠道は木がうっそうと茂っており、暗く狭い坂道になっています。
途中、石仏や地蔵をよく見かけます。

東海道五十三次 宇津の峠


平成12年の発掘調査により、峠に地蔵堂があったことが確認されています。
大きさは約5m四方と2m四方のものが2つあったようです。


旧道で峠を越えて、広く大きな道路へ出ます。
道の駅 宇津の谷峠

ここでやっとイーモバイルで電波を拾い、東海道五十三次アプリで
正確な現在地がわかった。

フラットな道路をゆくと、岡部宿の復元みたいのが現れた。


東海道五十三次 岡部宿

ここに岡部宿があったのか、いやいや、こんな感じだったんです。
なのかは、不明。

岡部宿は、当時から小さく大名が宿泊するとなると隣の宿場から夜具を借りなければ
いけなかったそうです。

じっくり時間をかけて観て行く余裕はもうありません。
けっこう夕方なので、先を急ぎます。


東海道五十三次 岡部宿

その先には十石坂観音堂があり、ここら辺からが岡部宿だったようです。
観音堂は走っていた反対側、道路の右側だったので、中を観ていません。


東海道五十三次 岡部宿大旅籠 柏屋歴史資料館

岡部宿 大旅籠 柏屋歴史資料館
立派な資料館があります。
興味がある人はじっくりと観て行くのでしょうが、私はさらっと
トイレと撮影を少しばかり。


東海道五十三次 岡部宿大旅籠 柏屋歴史資料館

でました!
籠です。


東海道五十三次 岡部宿の松並木

岡部宿の松並木。
もう少しです。


東海道五十三次 須賀神社の楠

須賀神社の楠
樹齢なんと500年。
近くには、東海道中膝栗毛などにも名所として登場する鐙が渕など、
東海道縁の史跡があります。

東海道五十三次 藤枝宿 京方

藤枝宿 京方に着ました。

東海道五十三次 藤枝宿 瀬戸川

瀬戸川
橋がかけられた事もありましたが、人足の収入源がなくなるという
理由から、川庄屋が反対して再び徒渡しとなりました。

しかし、浅い川だったので路銭の少ない旅人は水量が少ない時に
人足を雇わないで歩いて渡っていたといいます。

人足は、これを「目こぼし」といって黙認していたようです。


東海道五十三次 藤枝宿 志太一里塚


志太一里塚
江戸日本橋から50番目の一里塚。
藤枝市内には、志太のほか、鬼島と上青島に一里塚があり、上青島には
近年まで塚蹟が残っていたようです。

東海道五十三次 藤枝駅

旧東海道から、少し外れて藤枝駅に到着。
本日のゴール地点です。

綺麗な駅ですね。


東海道五十三次 藤枝駅 足湯

駅近くに温泉があれば、最高なのですが毎回そううまく
いくわけにはいきません。

しかし、駅周辺を歩いていると、な、なんとそこには足湯が
あるではありませんか!


東海道五十三次 藤枝駅 足湯

コンビニで缶ビールを買って、一人完走の乾杯をして
足湯でゆっくりします。

足湯で癒される頃には、すっかり夜の帳が降りてきました。
鈍行電車で駅から、走ってきた旧東海道五十三次も
いよいよ時間的に限界になってきました。

次からは、いくらか特急を使わざるを得ない状況です。


距離: 50.00 km
タイム: 8:41:36
平均ペース: 10:26 min/km
高度上昇値: 1,898 m
カロリー: 2,139 C


タイム: 8:41:36
移動時間: 7:10:40
経過時間: 9:19:57
平均ペース: 10:26 min/km
Avg Moving Pace: 8:37 min/km
ベストペース: 3:07 min/km

費用
地元コンビニ:457円
清水:840円
静岡:357円
静岡:507円
ドリンク自販機:120円
静岡:488円
藤枝駅:449円
セブンイレブン:697円


電車 私鉄:300円
JRは青春18切符:2300円

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2012.10.03

東海道五十三次を走る 府中〜丸子

東海道五十三次を西へ走って走って、府中までやってきました。

静岡駅に来ました。
都会ですね〜。
でっかいビルとか、ケンタッキーとかあって、完全に場違いな
ジョギング親父が通りますよ〜!

ここは徳川家康公の駿府城があったところでしょうか?
歴史に疎い私は知りません。


徳川家康 東海道五十三次

徳川家康 遺訓 東海道五十三次


静岡の人達、皆、家康公の御遺訓を素通りですか?
それを見入っている私が変人扱いで見られています。
なんだかね〜。


コンビニ昼飯 東海道五十三次


コンビニで昼飯です。
今日はずっと立ったままで、頑張ります。
岩本さんのウルトラマラソンの本にトレーニングとして
休憩でも、座ったり、寝転がったりしないというのが
あったのでね。

買ったものは、歩きながら食べていきます。
コーラ500ml缶は、100円なのでコストパフォーマンスが良いですね。

静岡に入ってからは、100円自販機がないので、この
コーラ500ml缶ばかり、がぶ飲みなのです。

まるごと凍らせたアクエリアスも見かけないため、
レモン水か、カスピスウォーターでした。
カスピスは甘過ぎて、べとついてよろしくないですね。

府中一里塚跡 東海道五十三次


府中一里塚跡

ここは、江戸日本橋から45番目の一里塚。
江戸時代初期に造られたので、新通ではなく本通にある。
旧東海道は新通なので、写真を撮る為に、一本西の本通を
少し走った。
なんか、ややこしいな。


安倍川餅 東海道五十三次


安倍川餅 東海道五十三次

おおっ、安倍川餅って、本当に安倍川手前にあるんだね。
歴史の知識無し、予習も無しで毎回走っているので、いきなり
その看板が現れてびっくり、なのです。
どの店が本当の元祖なのでしょう。
ゆっくり安倍川餅を食べている時間はありません。
さっさと橋を渡ります。

安倍川義夫の碑 東海道五十三次

安倍川義夫の碑

元文3年(1738)のことである。
紀州の漁夫が安倍川を渡ろうとして、仲間とともに溜めた大金百五十両を落としてしまった。
この大金を拾ったのが川越人夫の喜兵衛で、旅人を追いかけて、
宇津ノ谷峠で大金を渡すことができた。

喜んだ紀州の人はお礼を渡そうとしたが喜兵衛は
「当たり前のこと」として受け取らず、困った旅人は駿府町奉行所に
礼金を届け渡してほしい頼んだ。
それでも受け取らないので奉行は礼金は返し、代わりに喜兵衛に
褒美をあたえたという。


白隠禅師が書物で紹介し有名になったが、昭和4年
この事跡を忘れまいと広く呼びかけたところ、和歌山県の学童をはじめ
全国から20万人以上の人々が義捐金を寄せ
「安倍川義夫の碑」が建立された。

その記念講演会で徳富蘇峰は「有名な英雄より無名の英雄になろう」と訴え、
満場をわかせたという。


丸子宿 東海道五十三次

丸子宿
江戸日本橋から46里、20番目の宿です。

ここには、古い家が残されており、今も往時の宿場の雰囲気が
ちょっとだけあります。


丸子宿脇本陣跡 東海道五十三次

丸子宿脇本陣跡。

丸子宿 東海道五十三次


昔はとうふや?


丸子宿 東海道五十三次

昔はかさや?


丸子宿 東海道五十三次

丸子宿、京側にあるお店。

日本紅茶発祥の地 東海道五十三次


日本紅茶発祥の地 東海道五十三次


丸子は日本紅茶発祥の地

明治維新、静岡に転封された徳川慶喜に従った幕臣多田元吉が
原野を開いて丸子の地に茶園を開墾した。
その後明治政府の役人となった元吉は、中国・インド等を歴訪して紅茶に
限らず製茶全般の技術を日本に広めた。
その元吉がここ丸子で、紅茶製造を始めたのが、日本の紅茶の発祥。

日本紅茶発祥の地 東海道五十三次

きれいな水路が引いてあります。
柄杓がところどころに設置してあり、その水を組み上げて
生活用水として利用されているのでしょうか。

さてさて、この辺りから山に入ってきました。
ウィルコムとイーモバイルがともに、圏外になってしまい
地図の確認が正確にできなくなってしまいました。


名残の松 東海道五十三次


幹線道路沿いのコンビニで、食料調達。
ここには名残の松が、一本だけ残っています。

鳴く蝉に むかしを偲ぶ 松並木


でっかくて新しい道路は、どうやら新東名高速道路みたいです。
まだグーグルマップで詳細が、はっきりしていないので
旧東海道五十三次のルート確認が難しい箇所になっています。


東海道の難所 宇津の谷峠

高速を過ぎてから、道は山の中へと上っていきます。

綺麗な石畳の道ではじまる
東海道の難所 宇津の谷峠へと進んでいくのでした。

続く。

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2012.09.24

東海道五十三次を走る 由比〜興津〜江尻

青春18切符が残り1日分となりました。

これは、有効期限が9月10日までなので、東海道五十三次ジョギングに
使わない訳にはいかないのだ。


2012年9月8日 土曜日 曇

暑いので、また天気が悪い日を狙って行きます。
午前4時半起床、5時の始発で最寄り駅を出発。

今回のスタート地点である由比駅には、コンビニやドトールなどの
お店がまったくありません。
なので、地元のセブンイレブンでおにぎりなどを買っていきます。

由比到着。
相変わらず寂しい駅です。
線路を眺めながらおにぎりを食べていても、人もいないし、
電車もきません。
のどかで良いです。
曇っていますが、青空が見えていて、もう気温は30℃近い!


小池邸 東海道五十三次

小池邸

由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋は、明治期に建てられたもので、
建物の外観は低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、
当時の寺尾地域の民家の面影をよく残している。
大戸の脇には、平瓦をならべ四隅を留め、目地に漆喰をつかった
ナマコ壁もみられる。

ま、私は中まで見なかったけどね。


由比宿東海道あかりの博物館

由比宿東海道あかりの博物館

入館料500円。
収蔵品1000点の中から常設300点のあかり全般の展示。
火打石での点灯などもある。
東部電機工業 片山光男氏のコレクション主体にあかりの体験もできる。


望嶽亭 藤屋

望嶽亭 藤屋

山岡鉄舟が逃げ込んだと伝わる茶屋。

明治元年、山岡鉄舟が駿府(静岡市)で西郷隆盛と面会する為、
単身駿府へ乗り込む際に、由比で官軍に見つかってしまい、
望嶽亭に逃げ込んだと伝えられている。

主人が機転をきかし室内の通路を逃がしたことは逸話となっており、
その際に忘れたフランス製のピストルが残されている。

ま、ここも中には入っていないけどね。

さてここで宿場は終わり、山の中への急な登りとなっていきます。

藤屋は、その薩埵峠東登り口に位置していることから、
別名を『坂口屋』とも呼ばれていた。


みかんロードをグングン上っていく、息が上がって、
ハアハア、心臓バクバク、
しかも天気が良くなってきて、気温は30℃近いかな。

富士山 薩埵峠 東海道五十三次


うっすらと曇っている遠くに、富士山がかろうじて見えた。
この旅初めての富士山全景だ。
コントラストをぐっと上げてみた。
デジカメではほとんど写ってないけどね。


薩埵峠 東海道五十三次

薩埵峠からは、山の中のトレイルが少しありました。
木が多く影になっているため、比較的涼しく走れた部分です。

興津宿跡 東海道五十三次

興津宿跡は、今はきれいな公園になっている。

細井の松原跡 東海道五十三次

細井の松原跡
江戸時代には、松が街道沿いに植えられており、旅人が休憩していた
のであろう。
戦時中にその松は航空機用燃料とするために、伐採されてしまい
今はその影もない。


升で量り売りされているちりめん 東海道五十三次

升で量り売りされているちりめんを見たのは
初めてです。
買わなかったけどね。

江尻宿 東海道五十三次

江尻宿 

江尻宿は巴川が造る砂州上にできた宿である。
宿の中心は稚児橋付近であったが、伝馬役の負担は主に下町、中町、魚町の3町で、
これを江尻町といった。
江尻町(現清水銀座)には、本陣、脇本陣があったが今はその標もない。


稚児橋 東海道五十三次

稚児橋

慶長16年(1611年)9月、家康公の命令でここに橋が架けられた。
渡り初めで、一番年老いた夫婦が先頭を歩いていたが、
巴川より童子が突然現れて橋の上を駿府の方角に歩き去ったという。

このためこの橋を稚児橋というようになった。
これは河童の類といわれている。

橋の上にあるのは、カッパの彫像。
3体が男児で1体が女児。


追分羊羹店 東海道五十三次

追分羊羹店

創業は約300年前の老舗で、竹皮に包まれた追分羊羹は
旧東海道では名物の一つとなっていた。
この場所が東海道と清水道の追分、即ち分岐点になっていたからだ。
ちょうどこの店の東側の角のところには追分の道標が立っていて、
そこから南へ真っすぐな「清水道」が伸びていた。

ここも写真を撮っただけで、見ても食べてもいない。
誰かお土産で買ってきてくれないかな?

草薙 一里塚跡 東海道五十三次

草薙 一里塚跡

ここは江戸日本橋から43番目の一里塚跡。
なぜか隣にでっかい狸がおります。


府中宿跡 上伝馬本陣東海道五十三次

府中宿跡 上伝馬本陣

駿河国の国府が置かれていたので、府中と呼ばれている。
駿河国から遠江国を通じ、最大規模の宿場町として賑わった。

静岡市に入りました。
すっかり昼です。暑いです。

そろそろ昼飯にしますかね。


続く。




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2012.09.09

東海道五十三次を走る 原〜吉原〜蒲原〜由比 4日目完走

いつも事前情報はほとんど頭に入れないで、
旧東海道五十三次を走っています。

始発電車に乗って、沼津を出発したのが7時30分くらい。

単調な、ストレート道路から、やっと街らしいところへやってきました。

そう、ここは吉原宿。


吉原本町にある鯛屋旅館 東海道五十三次


吉原本町にある鯛屋旅館 東海道五十三次

吉原本町にある鯛屋旅館
天和2年(1682)創業の老舗旅館。

でも見るだけ〜
泊まりません。

もっと、走るぜ!

吉原宿 西木戸跡 東海道五十三次


吉原宿 西木戸跡

ここで街は終わりです。

塔の松跡地 東海道五十三次

塔の松跡地
すっかり住宅地になって何も残っていませんが、往時は松の木の
下で休む旅人がいたのでしょうね。

鶴芝の碑 東海道五十三次


鶴芝の碑

この碑は、文政三年(1820)六月、東海道間の宿 本市場の
鶴の茶屋に建てられたもので、当時ここから雪の富士を眺めると、
中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたので、
この奇観に、京都の画家蘆洲が鶴をかき、これに江戸の学者
亀田鵬斎が詩文を添え、碑としたとさ。

富士も鶴も見えないけどね。
しかも現在は、**さんちの玄関だよ、ここ。


喫茶店 クロンボ


喫茶店 クロンボ やきそば


喫茶店 クロンボで昼休み。

名物?のやきそばを注文。
水の一気飲み、おかわり下さいは毎回定番の台詞。

鉄板にのったやきそばは、ボリュームたっぷり。
走る人には、不向きな食事かもしれないけど、しっかり食べないと
長距離は走れない。


ガーミン充電 東海道五十三次

サンヨーのエネループ電源から、ガーミン405の充電。
もう本当にバッテリーがもたなくなって、予備バッテリーもって
走るのが、重くてね〜。

喫茶店 クロンボ やきそば

テーブルいっぱいのメニュー。
これ、すべてパフェですよ、パフェ!

でも、当日はランチタイムで誰もパフェを食べていなかった。


ホウシャガメとゾウガメ

旧道をロストして、迷って戻る時にみつけたペットショップ。
ここには、外に柵があり,2匹の亀がいた。

ホウシャガメとゾウガメ。
ホウシャガメは、ワシントン条約附属書Iに掲載されており
商業目的の国際取引は禁止されています。
このお店のホウシャガメも売り物ではないようです。


道標と常夜灯 東海道五十三次

道標と常夜灯

神奈川までには、見られなかったのが常夜灯です。
昔はこれがずっと江戸日本橋まで、設置されていたのでしょうか。
しかし夜の移動は、まずなかったでしょうね。

富士川渡し船 東海道五十三次

富士川を渡ります。
当時の渡し船の跡です。

岩渕の一里塚跡 東海道五十三次

岩渕の一里塚跡
けっこう立派な石碑ですね。
江戸時代には、岩渕名産 粟ノ粉餅を売るお店が
並んでいたそうです。


<br />
蒲原宿 一里塚跡 東海道五十三次

蒲原宿 一里塚跡
江戸日本橋から、数えて38番目の一里塚です。


<br />
蒲原夜の雪 東海道五十三次

ここは、広重が描いたとされる有名な「蒲原夜の雪」という
浮世絵の場所とされています。

しかし、この辺り、冬でも雪が降る地方ではありません。
広重は、実際には東海道五十三次をすべて旅した事は無く
旅から帰ってきた人達の話を聞いて、絵を描いていたと
言われています。

当時は、写真もなく新聞や旅行雑誌などもないことから、その絵自体に
疑問を呈する人は、江戸にはいなかったのでしょうね。


</p>

<p>商家の面影を残す「塗り家造り」吉田家 東海道五十三次

商家の面影を残す「塗り家造り」吉田家
昔は和菓子屋だった家です。
土間が広くてお店に適した造りになっています。

<br />
旅籠 和泉屋 東海道五十三次

旅籠 和泉屋


<br />
志田家住宅主屋 東海道五十三次

志田家住宅主屋
旧東海道に北面し,短冊状の敷地に建つ町屋建築。
志田家は,醸造業を営み地主を兼ねた旧家。
木造2階建,切妻造,平入で,西側の平屋部は昭和初期の増築。
土間の戸口に大戸の痕跡,道路に面した開口部に蔀戸を残し,
蒲原宿の往時の佇まいを今に伝えている。

志田家は代々味噌や醤油などの醸造を営む商家で「ヤマロク」の屋号を掲げていた。
現在の建物は、安政元年(1854)の安政大地震直後に再建されたもので、
木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、正面1階には下屋庇、外壁は下見板張縦押縁止、
現在も蔀戸を備えている。
志田家住宅は江戸時代後期に建てられた町屋建築の遺構として貴重な存在で
平成13年に国登録有形文化財に指定されている。

<br />
由比本陣公園 東海道五十三次


<br />
由比本陣公園 東海道五十三次

東海道53宿の中の16番目の宿場町として栄え、江戸時代、参勤交代で
訪れる大名の宿として設けられた本陣の跡が、この『由比本陣公園』です。

建物の奥には、東海道広重美術館があります。
時間が無いし、有料なので、入りません。

トイレを使いました。
あとは、束の間の雨宿りって感じです。

ミニチュアの町並みなんかもありますが、歴史に詳しくない私には
ふーん、で終わり、座ってベンチをベチャベチャに濡らして
わずか数分の休憩で、また雨の中走り出します。

<br />
由比 東海道五十三次


そんでもって由比駅到着。
ガーン!コンビニもルービーもないじゃん。

本当に寂しい田舎の駅って感じだな。

(私は下調べ無しでいつも走っています。到着する宿場も駅もその日の
 体調と時間で決まります。準備不足と言われればそれまですが、、、)


下り電車はなんと1両?いや2両?
とぼとぼと駅構内に入り、いつもの惨めなトイレ着替え。

東海道五十三次の富士山絶景ポイントを今回は走った訳だが、
走り優先で観光などは、ほとんど考えていないので、夏の時期は
天気の悪い日と決めている。
とはいえ、あとからガイド本でみると、ああ、ここで富士山絶景なのねー
とただただ感心しかりなのであった。

ガーミン走行データ

2012年8月18日 土曜日 曇りのち雨

距離: 38.40 km
タイム: 5:54:17
平均ペース: 9:14 min/km
高度上昇値: 155 m
カロリー: 2,625 C

費用
コンビニ:780円
くろんぼ やきそば コーラ:840円
ドリンク2本自販機:250円

電車 私鉄:300円
JRは青春18切符:2300円




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2012.08.28

東海道五十三次を走る 沼津〜原・左富士

抜けるような青空のもと、富士山を横に見ながらの
東海道の旅はさぞかし、気持ちの良いものだろう。

しかし真夏のど真ん中、電車や車の旅行者ではなく
私は自分の足のみが頼りの一人ジョギング東海道五十三次。

せっかく買った青春18切符を使わない手は無い。
しかし、その期限は9月10日まで。
夏の暑い時期、ちょっとした曇りの日に狙いを定めて
旧東海道のジョギングの続きを走る。

というわけで、8月18日今日は一日曇りのち雨。

ついに始発電車での出発になった。
朝4時半起床して、朝飯抜きで駅へ行く。

私鉄からJRに乗り換える。
なんとラッキー、東海道線は沼津行きだ!
ほとんどは熱海行きだから、乗り換えが必要となり、
時間のロスもあるのだが、一気に行ける。
早起きは三文の得。

朝早い電車なのに結構混んでいる。
新潟へ行ったときと同じように、青春18切符組が乗っているのだ。
鉄道の話やら、乗り換えの接続とどうだとか、
テッチャンの話には、ついていけない。
私は、そんな早朝のうるさい車内で少しでも睡眠をとることに
専念したのだ。
車窓なんかどうでもいいのは、いつもと同じ。


沼津駅 東海道五十三次

沼津駅に到着。
まずは腹ごしらえ、っか。
ドトールに行こうかと思ったけど、せっかくの良い天気(曇り空)なので
すぐにジョギングをスタートすることにした。


駅から沼津城跡まで 東海道五十三次

駅から沼津城跡まで歩きながら、おにぎりを食べて歩く。

晴天続きで30℃を越える日々の合間の貴重な曇り。
今日しかない!
と思ったのだが、走り出したら蒸し暑くてたまらない。

松長の一里塚跡 東海道五十三次


松長の一里塚跡。

石碑は立派だけど、当時の面影は欠片も無い。


原宿 東海道五十三次


原宿

といえば、東京の原宿が思い浮かぶようになった私は
もうすっかり東京人か。

人生の半分以上は東京になってしまったからな。

生まれは愛知県、育ちは熊本県なのだが、社会人はほとんど関東だ。

で、旧東海道の原宿は面影はなく、記念碑だけが東木戸跡と
西木戸跡にありましたとさ。

西一本松 東海道五十三次

西一本松

どんと立派な一本松があります。
そのまま、西一本松がバス停にもなっているのです。

しかし、このあたり、ずーっと道が直線でただただ単調。
走っていて、何も楽しくない。
おまけにコンビニやお店もほとんどない。

曇り空だけど蒸し暑くて、なかなかペースは上がらず、、。

道路沿いの家は大きくて、書庫があり、外にも水道の蛇口が
ついています。

暑くて水をかぶりたいのですが、公園がないんです。
だからといって勝手によそんちの水道を拝借するわけにはいかず、
なんとか会館とか、明らかに今は人がいないところで外にある
蛇口から水を頂きました。

頭から、水をかぶって、Tシャツもびちょびちょになるのですが
暑いので走っていると、すぐに乾いてしまいます。

東海道五十三次

鉄道を横切りました。
東海道新幹線、ではなく、ローカル線です。
まったく電車が来る気配がないので、堂々と写真を
撮ったりしてみました。

東海道五十三次

富士市に入りました。
ずっと変わらずの直線道路が続きます。
単調で、暑さもあり頭がボーっとしてきました。


間の宿 柏原 東海道五十三次

柏原

幕府のお達しでは、基本的に宿場以外での宿泊は禁止されていた。
しかし、宿場間の距離が長い場合や峠越えなどの難路の場合、
宿場間に休憩用の宿が置かれ、間の宿と呼ばれた。

ここ柏原は、間の宿だったようだ。
いまは何も残っていない。

増田平四郎の像と一里塚跡 東海道五十三次


増田平四郎の像と一里塚跡 東海道五十三次


増田平四郎の像と一里塚跡

浮島沼の干拓に生涯を捧げ、「スイホシ」と呼ばれる排水路の大工事を
行った偉人。
現在はその跡に「昭和放水路」ができている。
この付近に江戸から33里の一里塚があったという。

大野屋さんで休憩 東海道五十三次

大野屋さんで休憩。
自販機の缶コーラが100円。
ベンチでコーラをグビグビ、はあ〜生き返る。

飲み終わった後に、お店のおばさんに

「外にある水道の水をもらっていいですか?」

とお願いして、頭から水道水をかぶり、Tシャツも濡らす。
これがないと、夏のジョギングはやってられない。
死んじゃうからね。


名勝 左富士 東海道五十三次

でた〜!!
名勝 左富士!!

って富士山はどこだ?

真夏のジョギングなので、わざと曇りのち雨の日に走っているので
しょうがないとはいえ、やっぱりこの一番のポイントで富士山が
全く見えないというのは残念至極。


左富士神社 東海道五十三次

左富士神社

旅の途中の神社はありがたいね〜。
だって水があるもん。

口をゆすいで、手を洗って、頭から水をかけて、水をかけて、
水をかけて、水をかけて、水をかけて、水をかけて、水をかけて、水をかけて、

そして旅の無事をお祈りするのですよ。


左富士神社 東海道五十三次

神社にあったこの下駄。
なんで丸いのでしょうか?

旧東海道左富士の松 東海道五十三次

旧東海道左富士の松 東海道五十三次


景観重要樹木 旧東海道左富士の松
太い幹が歴史を感じさせ、往時の東海道左富士の
松並木の風景をしのばせる貴重な樹木。
ここで富士山が見えれば、感動ものですな。


平家越の碑 東海道五十三次

平家越の碑 東海道五十三次


平家越の碑
治承4年(1180)源平の富士川の合戦の際、富士沼(浮島ヶ原)の
水鳥が群れ立つ羽音に驚いた平家は、源氏の襲来かと思いそのまま
逃げ去ったという。
その場所がこの付近と伝えられている。

そして、ここには、素晴らしい水場があります!
どかっと勢い良く出て来る水、水、水!
感激であります。


東海道五十三次

吉原宿の変遷です。
こんなに移動しているんですね。


さて、もうすぐ吉原宿に入っていきますよ。


今でもこん素晴らしい絵が入手できます。





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2012.08.01

東海道五十三次を走る 箱根、三島、沼津 3日目完走

東海道五十三次を走るの3回目。
小田原から箱根峠を越えて、静岡県に入りました。


接待茶屋 東海道五十三次

接待茶屋

箱根山を往来する人達の苦難を救う為に、人や馬に粥や飼葉、
焚き火を無料で施したと伝えられている。

この接待所も一時途絶え、つで文政7年(1824)、江戸の豪商
加勢屋与兵衛が再興したが、これも明治維新とともに中断してしまった。

やがて明治12年(1879)八石性理教会によって接待茶屋は
再スタートしたが、教会の衰退とともに鈴木家に引き継がれ、利喜三郎
、とめ、力之助、万太郎、ときらの三代により接待が続けられた。

鈴木家は、昭和45年(1970)に茶釜を降ろし、接待茶屋の歴史に
終止符を打つまでの約90年間、箱根を往来する人馬の救済に
あたった。

しかし、今はバス停のみで、誰も接待してくれず。


かぶと石 東海道五十三次

かぶと石

この石は兜を伏せたような形をしていることから
かぶと石といわれている。
また別の説として傍らの碑銘によれば豊臣秀吉が小田原征伐のとき
休息した際、兜をこの石の上に置いたことから、かぶと石と
よばれるようになったともいわれている。

この石は、兜石坂にあったものを昭和初期に国道1号線の拡張工事の
とき、この地に移設されてきたものである。


念仏石 東海道五十三次

念仏石

ここに突き出ている大きな石を、土地の人は念仏石と呼ぶ。
この念仏石の前に「南無阿弥陀仏・宗閑寺」と刻んだ碑があるが、
旅の行き倒れを宗閑寺で供養して、碑を建てたものと思われる。

山中新田 東海道五十三次

県によって、東海道五十三次の碑は変わってきます。
この立派な道標は、静岡県バージョン。


雲助徳利の墓  東海道五十三次


雲助徳利の墓

西国大名の剣術指南であった九四郎なる人物が酒がもとで事件を起こし、
国外追放となりここ箱根へ流れ着いた。

剣術の腕前に優れ、読み書きができるのでいつのまにか雲助仲間に
親分として慕われる事になったが、酒が原因で命を縮め亡くなった。
世話になった雲助たちが死後墓を建ててくれ「あの世でも好きな酒を」
と盃と徳利を刻んだという。


中山城跡 東海道五十三次

中山城跡

ここは寄り道せずに素通り。
道路の向かいにあったお店はうなぎ屋さんだったかな?
すごくいいにおいで、一気に腹が減ってきた。
まだ何も食べてない。


芭蕉 山中新田 東海道五十三次


芭蕉の句碑。


松雲寺 東海道五十三次

松雲寺

寺本陣旧跡と書いてあった。また、明治天皇史跡などもある。
富士山の絶景ポイントらしいが、この日は何も見えず。


一番亭三島塚原店でランチ


当初予定していた三島まで来てしまったので、このあとの
沼津まで一気に走る事に決定!
もう下りだからね。

さてその前に腹ごしらえ。
14時過ぎ、一番亭三島塚原店でランチ。
もやしと豚肉の炒め、半ラーメンとライスのセットで
609円でした。


錦田一里塚 東海道五十三次

錦田一里塚

この一里塚は、江戸日本橋より始まる東海道の28里(約112km)の
地点にあり、松並木の道路を挟んで向かい合って一対残っており、
旧態を保っていてたいへん貴重である。

愛宕坂 東海道五十三次

愛宕坂

石畳の修理の記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3.6mを
修理した」とあり、当時の道幅がわかる。

現在この道は、石畳風に整備されている所と、その下には往時の石畳が
埋まっている所とがある。

両側の松並木敷のうち、南側の並木敷だけ復元したもので、この先の
初音原の松並木に続いている。

江戸時代には、現在の東海病院の敷地には、愛宕社ほかの社寺があったが
現在は「愛宕山」と刻んだ碑だけが頭上のこんもりとした小山に
残っている。

三島からはもう上り坂はないかと思っていましたが、
いやはやこの坂は後半かなりきつかった。

三島神社 東海道五十三次


三島神社です。
ここまで来る予定が無かったので、予備知識ゼロ。
立派な神社ですね!
結婚式を終えたカップルがクラシックカーへ乗り込む
ところを目撃しました。

しかしお参りもせず、素通り。

玉井寺 一里塚 東海道五十三次

宝池寺 一里塚 東海道五十三次

玉井寺 一里塚

江戸日本橋から29里(113.9km)の道標。
宝池寺一里塚も同時に作られていたが、昭和60年(1985)に改修
されている。
この玉井寺一里塚は、昔の姿をそのままに残している。
ちゃんと小山と木があるのだ。


日本三大仇討の一  東海道五十三次

日本三大仇討の一 (ひとつ)

平作地蔵尊の由来
この地蔵尊はいつ頃創建されたか明らかではないが、有名な浄瑠璃
「伊賀超道中双六」に出てくる沼津の平作のゆかりの深い地蔵尊
としてその名を知られている。


平町の一里塚と玉砥石


平町の一里塚と玉砥石

江戸日本橋から30里のところにある一里塚。
周囲は住宅地の中の小公園になっていて、付近の住民の憩いの場となっている。

手前には県指定有形文化財(考古資料)の『玉砥石(たまといし)』がある。
今から1300年程前、玉類を磨くために用いられたと考えられている。

とても砥石には見えませんが、いったいどうやってこれを使っていたのかな?

三枚橋城石垣

三枚橋城石垣

武田勝頼により天正7(1579)年頃に、この地に築城された三枚橋城は、
慶長18(1613)年に大久保忠佐を最後の城主として廃城となった。
この石垣は、アゴラ沼津の地下から発見された三枚橋城の本丸入口付近
の石垣の一部を復元したものである。

沼津城本丸跡

沼津城本丸跡

沼津城は、安永9年(1780)水野忠友が築いた城で、明治5年、
静岡県によって解体された。
付近は中央公園となっており、狩野川の西岸、御園橋と御成橋の中間にある
『あゆみ橋』(歩行者専用)につながり、市街地の憩いの場となっている。

スケボー小僧がやたらうるさかったな。

ガーミンデータ 沼津ゴール


というわけで沼津駅でゴール。
天気は悪くて富士山がまったく見えなかったけど、もう夏のこの時期は
雨や曇りを狙って先に進むしかありません。


三島から市街地に入り、人や町の雰囲気がこれまでとは違ってきました。
小田原までは、関東なんでしょうね。
なんとなくそんなことを感じながら沼津を走りました。

事前に三島ではスーパー銭湯があると調べていたのですが、予定以上に
走ったため、沼津ではお風呂に行けず。

薬局で、メンズボデーなんちゃらを買って、体を拭き拭き、、、
トイレで着替えて、缶ビールをバス停で独り呑み。

帰りの電車では、一気に東京まで行けず、まずは熱海行きに乗って
それから東海道線に乗り換えるという、もうかなりの長距離鉄道移動に
なってきました。

夏休み、どこまで行けるかな?

ガーミン走行データ


2012年7月21日 土曜日 雨のち曇り 箱根は霧

距離: 39.75 km
タイム: 7:06:02
平均ペース: 10:43 min/km
高度上昇値: 1,070 m
カロリー: 2,585 C

費用
コンビニ:280円
一番亭ランチ:609円
ドリンク1本自販機:150円
薬局:376円
ローソン ビールとか:355円

電車 私鉄:300円
JRは青春18切符:2300円


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2012.07.29

東海道五十三次を走る 激走!箱根越え

いよいよ、箱根越えです。

箱根の山は天下の剣、、であってますか?

今では立派な国道で、気持ち良いワインディングロードを
登っていく箱根ですが、旧東海道のそれは
石畳の狭く、細く、そして急な坂道の連続なのです。

では、いろんな坂の写真とか、ずらずらっと、、、。

山根橋 東海道五十三次


山根橋

途中、小さい橋がいくつもあるのですが、長い歴史の中で
流されていたり、朽ち果てているものが多いようで
新しい橋になっているのが多いようです。

猿滑坂 東海道五十三次

猿滑坂

新編相模国風土記稿には、
「殊に危険、猿滑といえども、
たやすく登り得ず、よりて名とす」

と難所らしい坂の名の由来が載っています。
県道の横断歩道橋がかかるあたりが
当時の坂だった。


石畳歩道についての表示板

この石畳は旧東海道(江戸時代1680年)の歴史的な街道に
沿った歩道です。
旧東海道は関東大震災(1923)及び北伊豆地震(1930)等
度重なる災害により大半は崩壊、埋没しましたが、残された一部の
石畳を再現し、自然歩道として神奈川県が整備したものです。
BY神奈川県。


追込坂 東海道五十三次


追込坂

新編相模国風土記稿にはのふりがな(万葉がな)をみると、
フッコミ坂といったのかもしれません。
甘酒茶屋までのゆるい坂道の名


親鸞上人と笈ノ平 東海道五十三次

親鸞上人と笈ノ平

東国の教化を終えての帰路、四人の弟子と上人が険しい箱根路を登って
この地にきたとき、上人は弟子の性信房と蓮位房に向かい

「師弟打ち連れて上洛した後は、たれが東国の門徒を導くのか心配で
あるから、御房がこれから立ち戻って教化してもらいたい」

と頼み、師弟の悲しい別れをした場所と伝えられている。

甘酒茶屋 東海道五十三次


大正時代の甘酒茶屋 東海道五十三次

甘酒茶屋

無料の休憩所。
箱根地域には甘酒茶屋が9箇所あったが、明治13年 国道1号線の開通などから
街道を歩く人々が減少して、現在ではここに1軒残るのみとなっている。

中には囲炉裏があって、ちゃんと火が燃えていた。
甘酒は嫌いなので、買いません。
1杯400円だとさ。

大正時代の甘酒茶屋 東海道五十三次


猪注意
小田原では、鹿注意。
箱根では、猪注意。
さて次は?


権現坂 東海道五十三次

権現坂

小田原から箱根路をのぼる旅人が、いくつかの急所難所をあえいで
たどりつき、一息つくのがこの場所だった。
目前に芦ノ湖を展望し、箱根山に来たという旅の実感が
体に伝わってくるところだ。

が、私が来たこの日は雨と霧でまったく展望はひらけず
芦ノ湖は見えなかった。

ケンペルとバーニー 東海道五十三次

ケンペルとバーニー

箱根の自然を愛し、世界へ紹介したという功績を
讃えた記念碑です。

箱根旧街道 杉並木 東海道五十三次


箱根旧街道 杉並木

杉並木は徳川幕府が旅人に木陰を与えようと道の両側に
植えたもので、東海道では唯一のものである。
第二次世界大戦中、伐採されそうになったこともあったが、
現在では、国指定史跡として保護され、芦ノ湖畔周辺の
四地区に、約420本の杉が残されている。


箱根関所 東海道五十三次

箱根関所

途中にあるアトラクション?を見るにはお金が必要みたいです。
特に何も見る事なく、通行するのみの人は無料です。

麻薬犬などに追いかけられる事無く、無事箱根関所を通過。

犬塚明神 東海道五十三次

犬塚明神

元和4年(1618)箱根宿が創設された時、付近には狼が
たくさんいて、建設中の宿の人々を悩ませていた。
そこで、唐犬2匹を手に入れて、狼を退治させ、やっと宿場が完成した。

しかし2匹の唐犬も傷ついて死んでしまった。
人々は宿場を完成させてくれた2匹の唐犬をここに埋め、
「犬塚明神」と崇めた。

芦川の石仏群 東海道五十三次

芦川の石仏群

箱根旧街道向坂地区の入り口付近には、「芦川の石仏群」
と呼ばれる、数多くの石仏群がある。
もとは芦川集落内の駒形神社境内にあったものを移したと
いわれている。

ここには、箱根で最も古い万治元年(1658)の庚申塚や
江戸時代後期に建てられた多くの巡礼供養塔などがある。


旧箱根宿の西側にあたる芦川の町並みを過ぎると
旧東海道は、箱根峠までの400mにわたって、
急坂が続く。
この坂は順に、「向坂」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」
と呼ばれている。

向坂(むこうさか) 東海道五十三次


向坂(むこうさか)
坂の入り口に石仏群があり、往時の杉並木も石畳も
残っていて、味わい深い坂道である。

赤石坂 東海道五十三次

赤石坂
国道1号線を挟んで両側に石畳と杉並木が残っている。
道を下れば急箱根宿のひとつであった芦川の集落に、
道を上れば相模の国と伊豆の国を分ける箱根峠に達する。

釜石坂 東海道五十三次

釜石坂
この坂道に残る杉並木は、芦ノ湖畔のドンキン地区
吾妻嶽地区、箱根関所付近の新谷町地区と並んで、
箱根旧街道に現存する江戸時代の杉並木。
4つの地区を合わせて、約420本の杉が残っている。

風越坂(かざこしざか) 東海道五十三次

風越坂(かざこしざか)
江戸時代の延宝8年(1680)箱根旧街道に石畳が敷かれた。
当時、石畳が敷かれた場所は、坂道だけで、集落の中や平坦な
場所には、石畳は敷かれなかった。

挟石坂 東海道五十三次

挟石坂

箱根峠にかかる坂。
峠は当時の浮世絵をみると伊豆の国を分ける標柱と
ゴロゴロした石、それに一面の茅しか描かれていない。
まことに荒涼たる厳しい峠であった。

三島宿までは、ここからさらに四里(16km)近く、
こわめし坂、自転坂などの難所が続く。


箱根峠 東海道五十三次


箱根峠 東海道五十三次

次から次へと現れる激しい坂道を攻略し、国道1号線を
何度も横切り、旧東海道を上り続けて、やっと辿り着きました>箱根峠!

しかし、まったくの視界ゼロ。

霧で何も見えません。

道路をわたるのもたいへんですね。
車は時折通りますが、歩きは私一人、しかもこの天候では
車の運転手が、箱根峠を歩いている人がいるなんて
思いもよらないわけです。


さて次回、箱根峠からの下り、三島、そして沼津まで行きます。



東海道五十三次を走る 小田原から箱根越え

夜の高尾山へ

東海道五十三次を走る 平塚〜小田原 2日目完走

東海道五十三次を走る 戸塚〜 平塚(茅ヶ崎)

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東海道五十三次を走る 日本橋〜戸塚 出発編

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2012.07.23

東海道五十三次を走る 小田原から箱根越え

学生さんは、夏休みに入りました。
夏の旅行は、旧東海道なんていかがですか?

というわけで、2012年7月21日に東海道五十三次を走る
第3回目のため、まずは小田原駅へ行きます。

東京の家から、ちょっと遠くなってきて電車代もきになるところです。
今回からは、青春18切符を使います。

青春とか18とか、ついてますけど、おっさんもちゃんと
購入できますので、勇気をもってみどりの窓口へ行ってみましょう。

前回のゴールが、次回のスタートなので駅周辺は
地理に困らないのが、この計画の良い所です。

朝が早かったので、コンビニで食料を仕入れます。
鶏五目おこわと、てりたまスパロール。

駅を出て、すぐにゴアテックスのカッパを着ます。
夏の時期の貴重な涼しい雨で、気温は20℃+アルファ
くらいで、久しぶりにCW−Xも履きました。


小田原城を毎週観ているような気がするけど
今回は城内は通らず、まっすぐに国道1号線を目指します。

8:40ころ、小田原城近くをスタート。

板橋(上方)口 東海道五十三次


板橋(上方)口

東海道に対応する小田原城外郭の西側の出入り口が設けられていた場所。
国道1号線は、まっすぐ西へ直進しているが、かつての東海道は
板橋口を出ると一度北へ折れて、再び西に曲がっている。
旧道はそのルートですすみます。


日本初の有料道路 東海道五十三次

日本初の有料道路

この写真の場所がそうなのかは不明ですが、その案内がある記念碑が
道路脇にひっそりと建てられていました。

明治8年(1875)9月、小田原の板橋から湯本まで全長4.1km
幅員平均5mの我が国初の有料道路が開通した。
福沢諭吉からの
「箱根の山に人力車の通れる道を造れ」
と提言され、二宮尊徳の高弟として知られる福住正兄が
建設の先頭に立ったという。


箱根一里塚 東海道五十三次

江戸日本橋から、22番目の一里塚跡。

箱根石畳の道 東海道五十三次


最初に現れた石畳の道への分岐です。
右へ降りていくと、やがて石畳の道になります。


箱根石畳の道 東海道五十三次

江戸幕府は、延宝8年(1680)に箱根旧街道に石を敷き、舗装をした。
ここから約255mは、その面影を残しており、国の史跡に指定されている。

箱根女転し坂(おんなころしさか)東海道五十三次

女転し坂(おんなころしさか)

な、なんと怖い名前の坂なのでしょうか。

箱根道の難所のひとつであり急な坂道が長く、馬に乗った婦人が
この付近で落馬して死んでしまったことから、「女転し坂」

いろんな坂道が登場します。
実際ずっと坂道ばかりで、もう全然ペースは上がりません。
幸いにも小雨の中だったので、暑くてばてなかったです。
トレイルランニングシューズにしようと悩んだのですが、あの濡れた
苔むしった石畳は、どんなシューズでも滑りますな。


割石坂 東海道五十三次


割石坂

曽我五郎が富士の裾野に仇討ちに向かう時、腰の刀の切れ味を
試そうと路傍の巨石を真っ二つに切り割ったところと
伝えられている、、、が
その石は、どの石なのか、、見当たらないな?


大澤坂 東海道五十三次

大澤坂

大沢川を渡った所。
幕末の下田奉行小笠原長保の「甲申旅日記」大沢坂入りは座頭転がし
ともいうとぞ、このあたり、つつじ盛んにて趣殊によし
と書かれている。
当時の石畳の道が一番良く残っている坂で、苔むした石畳が
往時をしのばせてくれますな。
しかし、これが滑ってねー。
下りでも走れたもんじゃない。


畑宿本陣跡 東海道五十三次

畑宿本陣跡 東海道五十三次


畑宿本陣跡

畑宿は郷土の伝統工芸箱根細工が生まれ、育った所。
畑宿で木地細工が作られた記録は、かなり古く、
小田原北條氏時時代までさかのぼる。

江戸時代畑宿は、箱根旧街道の間ノ村(あいのむら)として栄え、
たくさんの茶屋が並び名物の蕎麦、鮎の塩焼き、箱根細工が
旅人の足をとめたという。

今でもバスが止まり、観光客がおりてきた場所だ。

畑宿一里塚跡 東海道五十三次


畑宿一里塚跡。

畑宿の一里塚は、江戸日本橋から23里目に当たるもので、
明治時代以降、一部が削られてしまうなど江戸時代往時の姿は
失われてしまった。
その後の発掘調査と文献調査の結果を基に復元整備を行い、
箱根町の中では唯一往時の様子を現代に伝えるものである。

橿木坂(かしのきざか) 東海道五十三次

橿木坂(かしのきざか)

「新編相模国風土記稿」に「峭崖(高く険しい崖)に橿樹あり、
故に名を得」とある。
「東海道名所日記」には、険しきこと、道中一番の難所なり。
おとこ、かくぞよみける。

「橿の木の さかをこゆれば、
 くるしくて、
 どんぐりほどの 涙こぼる」

江戸幕府は延宝8年(1680年)箱根道を石畳道に改修した。
それ以前の箱根道は、雨や雪の後は大変な悪路になり
旅人は、ひざまで没する泥道を歩かねばならないため
竹を敷いていたが、毎年、竹を調達するのに大変な労力と
費用がかかっていたという。

というわけで、まだまだ、箱根道の坂道は続くのであった。

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2012.07.16

東海道五十三次を走る 平塚〜小田原 2日目完走

平塚の松並木くらいからは、すっかり雲は無くなり
好天になりました。

残念ながら、ジョギングで東海道五十三次を移動している
人には、嬉しくない展開ですな。

陸軍架橋記念碑


陸軍架橋記念碑 東海道五十三次


大正12年(1923年)9月1日。関東大震災によって馬入橋が倒壊し、
交通が途絶えた。
地元の消防組・在郷軍人会・青年団によって即日渡し船が運行されたが、
数日後の豪雨で流失し、しばしば中断していた。

9月17日、陸軍第15師団(豊橋)所属工兵大隊と第16師団(京都)
所属工兵大隊が急遽派遣され、架橋工事が開始された。

橋の全長450mのうち、馬入側の300mを第16師団、
茅ヶ崎側を第15師団が担当して、同年10月3日に完成した。
この記念碑は馬入側を担当した第16大隊の事績を讃えたものである。


わわっ!
なんかすんごい賑やかな光景が見えてきた。
こ、これは、そう平塚七夕祭りだ!

平塚七夕祭り 東海道五十三次

旧東海道五十三次は、まさに七夕祭りのど真ん中を突き進むのであります。
もちろん、この人、人、人、、走れません。

平塚七夕祭り お化け屋敷

お、お化け屋敷、発見!
このハイテクなデジタル時代であっても、やっぱり
入ってみたいお化け屋敷。

生ビールの誘惑に惑わされながら、なんとか祭りの喧噪を
抜けていきました。

平塚宿の江戸見附跡


ちょうど七夕祭りの最終地点、西側に平塚宿の江戸見附跡があります。


平塚宿脇本陣

平塚宿の脇本陣は、享和年間(1801〜1803)頃の宿場の様子を
描いた「東海道分間延絵図」には、西組問屋場より西に描かれているが、
天保年間(1830〜1844)には二十四軒町の北側のこの地に
山本安兵衛が営んでいたとされる。


平塚京見方見附

平塚京見方見附
平塚宿の家並みは、空襲やその後の区画整理により、往事を偲ぶ面影は
残っていない。
宿場の西の入り口であった京方見附の場所も定かではなくなった。
先人たちの言い伝えや歴史資料等によりこの辺りにあったものと
思われる。
初代広重の描いた五十三次平塚宿の錦絵もこの付近からの
眺めのものと思われ、変わらぬ高麗山の姿に往事の風情が
偲ばれる。

化粧井戸 東海道五十三次

民家の手前に何やら発見!
おおっ、これは井戸ですね。


化粧井戸 東海道五十三次

化粧井戸
「化粧」については、高来神社との関係も考えられるが、伝説によると
鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった。

当時の大磯の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み、
朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたので、この名がついた。

この井戸の少し行った付近に化粧坂(けわいざか)の一里塚があった。

非常に良い天気になってきたので、暑くてたまらん。
もう快晴って嫌だね。
海はすぐ近くなんだけど、無駄に走りたくないので
道路沿いの看板を見ていくだけ。

湘南発祥の地 東海道五十三次

そうこの辺りは、海水浴場発祥の地、湘南発祥の地
そう大磯なのです。
昨年の湘南国際マラソン以来ですな。
私の祈念すべき、初フルマラソンでした。

鴫立庵(しぎたつあん) 東海道五十三次

鴫立庵(しぎたつあん)
寛文4年(1664)小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりで、
元禄8年(1695)俳人の大淀三千風が入庵し、第1世庵主となった。
現在は京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つ。


東海道小八幡の一里塚跡 東海道五十三次


東海道小八幡の一里塚跡
今や、ごく普通の民家が建ってます。

旧東海道に設置された19番目の一里塚があった場所。
小八幡の一里塚について、天保年中の相模国風土記稿に
「東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、
塚上に松樹あり上は小田原宿入口一里塚、下は山西村小名梅沢の
一里塚に続けり」とある。

鹿飛び出し注意 東海道五十三次

えっ、本当か?
鹿が出てくるの、ここはすぐ海なんだけど。
国道1号線だよ。


新田義貞の首塚 東海道五十三次

新田義貞の首塚
という看板に釣られて、海の方へ走ってきたけど
そこは単なる駐車場で、何も残っていませんでしたとさ。


よっしゃー、ついに小田原到着!


小田原城跡 江戸口見附 東海道五十三次

小田原北条氏は、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに対し
総構といわれる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、城のみならず
城下町までを取り込んだ戦国最大級の城郭を築いた。

江戸時代には、小田原城下に入る東海道の東の出入り口として、
西の板橋口及び甲州道の井細田口とあわせて、城下を警護する
重要な門としての役割を担っていた。


ういろう 東海道五十三次

で、これは小田原城
ではなくって、名物「ういろう」のお店。
ういろうと言えば名古屋のお菓子だけど、小粒の丸薬として
旅人の胃腸薬、船酔いの薬としての常備薬だったという。

薬とお菓子は、名前は同じでも違うものなのでしょうか。
マラソンランナーに効く、サプリメントなんか開発してくれないかな。


小田原城 東海道五十三次


実は小田原城に来るのは、2週連続でした。
先週は、雨の中コスプレ撮影。
この日は、快晴の中、綺麗な小田原城を見る事ができました。

汗だくになったので、お風呂へ行きます。
小田原駅から10分もかからないところにある万葉の湯へ。
入浴だけなら、60分で1200円。

受付の順番待ちのときに、後から突っついてきたおばさんを
のぞけば、ゆったりとできる良い温泉でした。

順番待ちでいくら前の人にくっ付いても、自分の順番までは
温泉には入れませんよ。
何をそんなに急いでいるのか、おばさんよ。

ひとり順番追い越しても、温泉は逃げやしない。

人はいつか死ぬ。
その時間は大して変わらんよ。
急いで他人と争いを起こしてまで、はやく温泉に入りたけりゃ
私を後ろから撲殺して、受付へ突っ走ればよろし。


ガーミン 走行データ

走行距離: 43.85 km
タイム: 5:50:27
平均ペース: 7:59 min/km
高度上昇値: 216 m
カロリー: 3,012 C

費用
コンビニ:629円
なか卯 牛丼:290円
ドリンク1本自販機:120円
万葉の湯:1200円
箱根ベーカリー ビールとピザ:850円
電車:1860円

次回からは青春18切符の出番ですね。

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東海道五十三次を走る 日本橋〜戸塚 出発編


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2012.07.15

東海道五十三次を走る 戸塚〜 平塚(茅ヶ崎)

2012年7月8日 日曜日。
昨日は豪雨、今日は少し雨。

東海道五十三次を走る 第2ステージは、前回のゴール
戸塚からのスタートです。

前回来ているので、駅からはすぐに東海道のラインへ。

コンビニで買ったおにぎりを食べながら、バス停から道路
まで歩いて移動。

少し雨が降っているが、暑いからちょうど良いくらいだ。
念のため、ゴアテックスのカッパ上着だけザックの
ポケットに突っ込んできた。

モンベルの登山用パンツ

モンベルの登山用パンツは、ちゃんと雨水を弾いて
綺麗な水滴ができている。


ipod touch には、ジップロックの袋で防水仕様

ipod touch には、ジップロックの袋で防水仕様にしてきた。


8時8分。戸塚駅前をスタート。


大坂松並木

大坂松並木 東海道五十三次


大坂では天気の良い日には、松並木から素晴らしい
富士山の眺めが見れたことから、多くの浮世絵の
題材にされた。

江戸時代には、かなりの急坂だったが、昭和7年から
はじまった改修工事により、現在ではジョギングでも
きくつないくらいの坂道になっている。

少し雨が降っているけど、カッパを着る程ではないな。
やはり梅雨なので、雨は避けられないけど、陽が出たら
暑くなるので、このくらいがいいかもしれん。

お軽勘平の碑

お軽勘平の碑 東海道五十三次


歌舞伎,浄瑠璃(じょうるり)「仮名手本忠臣蔵」の登場人物。
塩冶(えんや)家の家臣早野勘平は主君刃傷の日
恋仲の腰元お軽と逢い引きをしていたために失態を演じる。

お軽の実家に身をよせたが、あやまって人を殺し切腹する。
のちお軽は京都祇園一力茶屋の遊女となった。
勘平のモデルは浅野長矩の刃傷事件を最初に赤穂に
つたえた萱野三平重実。

原宿一里塚跡


原宿一里塚跡 東海道五十三次

ここ原宿一里塚は、江戸日本橋から11里目にあたる。
塚の付近に茶店などがあったので、原宿と呼ばれるようになった。
明治9年に取り払われて、現在はその原型は無い。


諏訪神社

諏訪神社 東海道五十三次

創建年代は不明ですが、明治40年に山谷仲町から、このあたりに移転して出来た神社。
周辺が鉄砲宿と呼ばれていた事から、武神の諏訪神社を勧請したと言われている。
影取の地名の由来となった影取池は、この神社の奥にあったと伝えられている。


遊行寺坂

遊行寺坂 東海道五十三次

これはこれは、けっこうな坂道ではないですか。
東海道五十三次を江戸から走って来ると、ここはずっと続く下り
なので、楽に通過出来るのですが、逆だとぞっとしますね。
箱根駅伝の復路 第8区の難所がここ遊行寺坂なのです。


坂道を下り切って藤沢に入りました。

藤沢 東海道五十三次


蒔田本陣跡 東海道五十三次


蒔田本陣跡。 ここも看板だけのようです。
藤沢宿の本陣は、江戸時代中期から蒔田源右衛門が勤めました。

パウンドケーキ 東海道五十三次


戸塚駅を出発してから、1時間42分でコンビニで買った
パウンドケーキを食べて休憩。
茅ヶ崎高校前のセブンイレブンです。

ここまでの走行距離は、14.24km。
小雨で暑くないため、いいペースで走ってます。

茅ヶ崎に住む従兄弟へ電話しますが、応答無し。
(後日情報:携帯電話を家に忘れたまま、お出かけされていたとのこと
 湘南国際マラソンの時に、会いましょう!)

東海道の松並木

東海道の松並木 東海道五十三次

茅ヶ崎市内の国道1号線沿いの黒松は幹周り(地上より1.2mの高さで測定)
2.2m(推定樹齢400年)の大きな松が育っている。
遠い昔より、地域の人達に親しまれ江戸時代の松並木は旅人に安らぎを
あたえ、この風景はその時代の画家、安藤広重の東海道五十三次にも
描かれている。
茅ヶ崎の貴重な文化財となっている。


東海道を200年以上見守ったクロマツ


東海道を200年以上見守ったクロマツ 東海道五十三次

この切り株は、高さ20m、太さ2.5m、樹齢は約200年
(江戸時代後期から生息)で、茅ヶ崎地区に植樹されたクロマツの
中で一番の巨木だった。
平成21年3月に腐朽のため伐採されたが、茅ヶ崎駅北口周辺と区別景観
まちづくり地区のランドマークであった証をモニュメントとして
残し、その記憶を継承している。


走行日:2012/07/08

まだまだ、続きます。




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