レンブラント 光の探求/闇の誘惑
好きな画家は、二人居て、一人はアメリカ・リアリズムのアンドリュー・ワイエス。
そしてもう一人は、光と影の巨匠、天才、レンブラント・ハルメンス・ファン・レインである。
ワイエスの作品は、出張で訪れていた倉敷の美術館で偶然鑑賞することができた。
ところが、レンブラントは未だその機会に恵まれないままだった。
上野の国立西洋美術館で、展覧会 レンブラント 光の探求/闇の誘惑 が始まっていた。
連休中に行くのは、混雑が予想されたが、妻が日暮里へ買い物へ行くというので
同じ方向なので、山手線で私は上野で降りて、国立西洋美術館へむかった。
ここ上野は私にとって、社会人スタートしたlころの思い出の街である。
職場は東上野にあったが、もっぱら外出先は、下谷、谷中、上野公園あたりだった。
仕事がつまらなくて、よく上野公園をぶらぶらしたもんである。
そのころとは、またすっかり変わったようにも見えるが、最近パンダが
上野動物園にきたせいで、人出はとっても多い様子だ。
うん、嫌な予感。
やっぱり、
国立西洋美術館は、凄い人だ。
長い行列に並んで、ゆっくりと歩を進めていく。
ようやく辿り着いたレンブラントの版画に、食いつき見入る。
銅板を鋭い針のようなペンで、引っ掻いて、そこにインクをしみ込ませ
紙へ転写したものだ。
子供の頃やった、木版画と違い、掘った所が黒くなるのが銅版画だ。
実際にその本物を観るまで知らなかったのだが、版画のサイズは
思ったより小さくって、ハガキよりも一回り小さいくらいだ。
なので、作品の前に、ぐぐっと顏を近づけて皆、じっくり観ている。
その細かい線は、とても繊細で、力を入れて引っ掻いたとは
思えないものだった。
レンブラントは、版画にも色んな手法をミックスして、完成形を模索していた。
1640年後半くらいからは、日本の和紙を好んで使うようになっていた。
西洋紙が白く滑らかな紙に対して、和紙は少し凸凹があり、クリーム色。
その紙質が、同じ版画を転写しても陰影の表現が違って見え
とても同じ版で摺られた物とは、思えないほどだった。
美術鑑定などの専門家でなくても、その違いは明らかにわかり
レンブラントの作品にとって、和紙はとても合っていたのだろうと思われる。
ちなみに東洋人の絵を描いたりもしているが、東洋や日本に特段興味が
あったわけではないようで、たまたま、当時、ヨーロッパに入ってきた
ばかりの和紙を使ってみて、気に入ったということらしい。
今回の展示は版画が中心だったので、私が観たかった絵画は
あまりなかったけど、本物のレンブラントを手を伸ばせば
届くくらいの距離で、じっくり観ることができたことは、感動モノであった。
レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn)
1606年7月15日 - 1669年10月4日
17世紀を代表する、オランダの画家。
単にレンブラントと呼ばれることも多い。
大画面と明暗を画面上に強く押し出したルミニズムの技法を得意とし、
「光の画家」「光の魔術師」(または「光と影の画家」「光と影の魔術師」)
の異名を持つ。
油彩だけでなく、エッチングや複合技法による銅版画やデッサンでも
数多い作品を残した。
また、生涯を通じて自画像を描いたことでも知られる。
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